もっと砂漠人
砂漠人は、とても野性的な人間だ。少なくともわたしは、彼以外にこの性質を持った人を知らない。そう思っていた。ところが砂漠人のこの弟を知ってからは、本物の砂漠人は彼だった! と思うようになった。

彼は、非常に敬虔なイスラム教徒である。一日に五回、早朝から晩まで時間がくるとモスクに向かう。モスクに行けない場合も、もちろん礼拝は欠かさない。羊飼いとのやりとりや、牛の世話を一手に引き受けているのも彼だ。砂漠まで水や餌を運んだり、施設の建設作業もこなす。
彼はこの町に住むことがとても好きなようだ。どこに行っても多くの人と挨拶を交わし、楽しそうに話をしている。そんな彼だが、かつてはフィンランドに暮らしたことがある。当時フィンランドに住んでいた砂漠人が呼び寄せて、レストランを経営していたのだそうだ。彼は英語を少し話すのでわたしに詳しく説明してくれたのだが、フィンランドに来て初めの一週間のうちに砂漠人がピザの焼き方を教えてくれて、あとは一人でやるよう任されたのだそうだ。言葉も文化も全く知らない中で、身振り手振りでお客さんから注文を聞き、調理をした。ときどき、まだ習っていない種類のピザの注文が来たときは、砂漠人に電話で教わりながら作った…という話には大笑いしてしまった。
それでもそうやって暮らすうちに、異国の文化になじめなかったようで、「ここでは暮らせない」といってイランに帰ってしまったのだそうだ。砂漠人は彼のそんな一面をとても尊敬していて、最強の男・頭のいい男と称してわたしに話してくれた。

また彼はイランに戻って以降、アフガニスタンやインド、パキスタンにも旅している。おそらくそれはイスラムを探る旅だったのだろうが、アフガニスタンなどで暮らしてみるとイランでの生活がとても楽に感じるものだと教えてくれた。いえいえ、わたしにとってはイランで暮らすだけで十分、スウェーデンでの生活が楽に感じられるので、アフガニスタンなどとんでもない。行くことはないと思います。
彼は砂漠人の弟とはいえ、わたしより年上だ。わたしのことはおそらく妹のように思っているに違いない。実際、わたしも兄のようにしか思えない。彼は英語も片言だが、いつだったか「わたしはアビ(砂漠人)がとても好きだ」と間違ったスウェーデン語で言ってくれた。多くの兄弟の中でも、砂漠人のことを特に信頼しているようで、この年になっても兄弟で協力し合って暮らしているというのは、なんとも理想的な、すばらしい関係だと思う。もちろんこんなに面倒見のいい兄を持ったら、それは難しくないとも思うけれど。
さて、彼の野性味を説明するとしたら、その身体感覚について書かずにはいられない。たとえば砂漠から戻った車を洗うのを見たとき、わたしは思わずカメラを取りに走った。濡れた地面に平気で寝転がって、泥で汚れた車の下側を洗っていたのだ。考えてみれば当たり前だが、誰でもこういうふうに洗えるものだろうか。

また彼はトラクターを運転するとき、素足だ。羊の餌となるトウモロコシは、トラクターでつぶして寝かせて発酵させるのだが、トウモロコシの上を何度も何度も行き来する作業を素足でこなしていた。ワイルド!

はたまた砂漠で車のガソリンが足りなくなったとき、彼はガソリンタンクに挿したポンプをくわえ、口でガソリンを吸い出して車へ移していた。もちろんガソリンが口に入ったようだが、当たり前のようにペッペッと吐き出して続けていたのだ。
そしてなにより、ごちそうとなる羊やヤギを屠殺するのも彼の役目だ。羊を屠殺し、肉の塊にしてからわたしたちのもとへ届けてくれる。


シャツに生々しい血の色が、、、
どれもこれも、さすがの砂漠人もやらない、あるいはできない作業だ。この弟を見る度に、あの野蛮人だと思っていた砂漠人が、いかに洗練されているかを考えさせられるのだ。

砂漠人がヨーロッパ人のように思えてくる
日焼けした黒い肌に、大きな手。そして満面の笑顔と柔らかい声の弟は、神に祈り、自然を愛し、動物をかわいがり、今日もイスラムについて考えているだろう。


トルクメンです

彼は、非常に敬虔なイスラム教徒である。一日に五回、早朝から晩まで時間がくるとモスクに向かう。モスクに行けない場合も、もちろん礼拝は欠かさない。羊飼いとのやりとりや、牛の世話を一手に引き受けているのも彼だ。砂漠まで水や餌を運んだり、施設の建設作業もこなす。
彼はこの町に住むことがとても好きなようだ。どこに行っても多くの人と挨拶を交わし、楽しそうに話をしている。そんな彼だが、かつてはフィンランドに暮らしたことがある。当時フィンランドに住んでいた砂漠人が呼び寄せて、レストランを経営していたのだそうだ。彼は英語を少し話すのでわたしに詳しく説明してくれたのだが、フィンランドに来て初めの一週間のうちに砂漠人がピザの焼き方を教えてくれて、あとは一人でやるよう任されたのだそうだ。言葉も文化も全く知らない中で、身振り手振りでお客さんから注文を聞き、調理をした。ときどき、まだ習っていない種類のピザの注文が来たときは、砂漠人に電話で教わりながら作った…という話には大笑いしてしまった。
それでもそうやって暮らすうちに、異国の文化になじめなかったようで、「ここでは暮らせない」といってイランに帰ってしまったのだそうだ。砂漠人は彼のそんな一面をとても尊敬していて、最強の男・頭のいい男と称してわたしに話してくれた。

また彼はイランに戻って以降、アフガニスタンやインド、パキスタンにも旅している。おそらくそれはイスラムを探る旅だったのだろうが、アフガニスタンなどで暮らしてみるとイランでの生活がとても楽に感じるものだと教えてくれた。いえいえ、わたしにとってはイランで暮らすだけで十分、スウェーデンでの生活が楽に感じられるので、アフガニスタンなどとんでもない。行くことはないと思います。
彼は砂漠人の弟とはいえ、わたしより年上だ。わたしのことはおそらく妹のように思っているに違いない。実際、わたしも兄のようにしか思えない。彼は英語も片言だが、いつだったか「わたしはアビ(砂漠人)がとても好きだ」と間違ったスウェーデン語で言ってくれた。多くの兄弟の中でも、砂漠人のことを特に信頼しているようで、この年になっても兄弟で協力し合って暮らしているというのは、なんとも理想的な、すばらしい関係だと思う。もちろんこんなに面倒見のいい兄を持ったら、それは難しくないとも思うけれど。
さて、彼の野性味を説明するとしたら、その身体感覚について書かずにはいられない。たとえば砂漠から戻った車を洗うのを見たとき、わたしは思わずカメラを取りに走った。濡れた地面に平気で寝転がって、泥で汚れた車の下側を洗っていたのだ。考えてみれば当たり前だが、誰でもこういうふうに洗えるものだろうか。

また彼はトラクターを運転するとき、素足だ。羊の餌となるトウモロコシは、トラクターでつぶして寝かせて発酵させるのだが、トウモロコシの上を何度も何度も行き来する作業を素足でこなしていた。ワイルド!

はたまた砂漠で車のガソリンが足りなくなったとき、彼はガソリンタンクに挿したポンプをくわえ、口でガソリンを吸い出して車へ移していた。もちろんガソリンが口に入ったようだが、当たり前のようにペッペッと吐き出して続けていたのだ。
そしてなにより、ごちそうとなる羊やヤギを屠殺するのも彼の役目だ。羊を屠殺し、肉の塊にしてからわたしたちのもとへ届けてくれる。


シャツに生々しい血の色が、、、
どれもこれも、さすがの砂漠人もやらない、あるいはできない作業だ。この弟を見る度に、あの野蛮人だと思っていた砂漠人が、いかに洗練されているかを考えさせられるのだ。

砂漠人がヨーロッパ人のように思えてくる
日焼けした黒い肌に、大きな手。そして満面の笑顔と柔らかい声の弟は、神に祈り、自然を愛し、動物をかわいがり、今日もイスラムについて考えているだろう。


トルクメンです
羊の移動

穏やかだったリハビリセンターでの日々を終えて、元気になった羊は砂漠へ戻されることになった。何頭かの羊は子羊を産んだ。一頭の母親羊は、砂漠人とわたしが餌をやり過ぎて死なせてしまった。現役引退のゴチは砂漠の群れには戻れず、市場に売りに出される。一頭のヤギはわたしたちのごちそうとなる。二十数匹の小さな群れだったが、それぞれがその運命をたどっている。
羊たちはトラックの荷台に載せられて、砂漠へ移動する。羊を囲い込んで荷台に載せるのは、砂漠人の弟の仕事だ。彼はたいそうな力で羊をエイッと持ち上げる。力仕事はいつも彼の出番のようだ。トラクターの運転も、羊を運ぶのも素手と素足でこなすのだ。「ワイルド」という言葉が、彼そのものを表わすと思った。

砂漠三兄弟(12人中)が作業する

彼が最もワイルドな弟だろうと思う

羊たちは荷台に押し込まれ、落ち着かずにうごめいている。それでもこれから仲間の待つ砂漠に戻るのだ。ひょっとしたら期待でわくわくしているのかもしれない。
ところで羊の群れには必ずいくらかのヤギが混じっているのだが、ヤギというのは羊よりもすばしこく、高い屋根などにも簡単に登ってしまう、不思議な運動能力を持った動物なのだ。だからこそ、扱いにくくもある。数頭のヤギも砂漠へ返すことになったのだが、トラックの荷台に載せればこのとおり、荷台から飛び出てしまっている。もちろんヤギも群れる習性があるので逃げ出してしまうことは稀だが、いつもハラハラさせられる。

なにを考えているのか、見当もつきません
ラクダ再び

まるで大地に恐竜が這っているかのようなウソのような写真だが、これは日常風景だった。
二十数匹いた羊の群れを毎日センターの外に出して散歩させていたのだが、羊たちは草を食べながら自由に移動してくれる。羊飼いとしては特にすることもないので、そのあいだは羊や景色をボーッと眺めている。町から外れたこの辺りは、一面に草原が広がっているのだ。そして近くに流れている小川の向こう側には、別の羊の群れやラクダが放し飼いにされているのが見える。

かなり遠くの方から、ラクダはわたしたちに近寄ってきた。それが毎日なのだから、こちらにあいさつに来ているとしか思えない。ゆっくりゆっくり近づいてきて、気がつくと何気ないふりをして側で草を食べている。広大な土地に比べたら小さな存在の動物たちは、お互いの存在を確認し合うようにして生きているようで、そんな風景に彼らの社会を垣間見たような気がする。

以前に砂漠でラクダの群れに遭遇したとき、思いがけず一頭のラクダがわたしに猛接近してきたのだが、なんと今回も同じ目にあった。じっと立っていたら、向こうからのっしのっしと近づいてきて、カメラのレンズに届くかという距離まで迫ってきた。やっぱりこれは、彼らのあいさつの方法なんじゃないだろうか。

砂漠
先日スウェーデン語のクラスで砂漠の話をしたら、先生が「そこは砂漠じゃなくて、ステップじゃないか?」と指摘してくれた。羊を放牧している砂漠は、一面に緑の草が生えているからだ。砂漠人からステップという単語は聞いたことがなかったので、違和感を覚えながらも、あれだけ草が生えているんだから確かにステップ気候かもしれないと思った。家に帰って砂漠人に聞いてみると、やはりあの場所は砂漠気候なのだそうだ。

学校の地理で習う「ケッペンの気候区分」によると、乾燥帯の中には丈の短い草原が広がる「ステップ気候」と植物がほとんど育たない「砂漠気候」がある。うちが羊を放牧している場所や、砂漠人の母の住む町のある地域は、砂漠気候に属するそうだ。では、砂ばかりのはずの土地に、なぜ草が生えたり樹木が育ったりするのだろうか。
その理由は、カスピ海にあった。この砂漠も町もカスピ海の沿岸部にあるため、海からの湿気でいくらかの植物が育つのだそうだ。不思議なのだが、地下を掘れば淡水が出るのだという。ということは、ここはまるでオアシスではないだろうか(オアシス都市としては知られていないけれど)。
ただし地図で細かく確認してみたら、カスピ海沿岸から少し東に入った場所(ゴレスタン州東部)はステップ気候が占めていて、それ以降トルクメニスタンのカラクム砂漠にかけては、また広大な砂漠気候が広がっていた。総じて、ここはカラクム砂漠の一部だと考えていいのだろう。
そういう訳で、ひと安心だ。なぜならば、もしここがステップだったら「砂漠人」を「ステップ人」に変更しなければならないじゃないか!

見事に育ったザクロの木。育てれば育つのに、庭や畑の世話をする家はほとんどいないのだ。それでいて、実った果実を次々と持っていくんだから砂漠人のお母さんとしてはたまったもんじゃありません。

学校の地理で習う「ケッペンの気候区分」によると、乾燥帯の中には丈の短い草原が広がる「ステップ気候」と植物がほとんど育たない「砂漠気候」がある。うちが羊を放牧している場所や、砂漠人の母の住む町のある地域は、砂漠気候に属するそうだ。では、砂ばかりのはずの土地に、なぜ草が生えたり樹木が育ったりするのだろうか。
その理由は、カスピ海にあった。この砂漠も町もカスピ海の沿岸部にあるため、海からの湿気でいくらかの植物が育つのだそうだ。不思議なのだが、地下を掘れば淡水が出るのだという。ということは、ここはまるでオアシスではないだろうか(オアシス都市としては知られていないけれど)。
ただし地図で細かく確認してみたら、カスピ海沿岸から少し東に入った場所(ゴレスタン州東部)はステップ気候が占めていて、それ以降トルクメニスタンのカラクム砂漠にかけては、また広大な砂漠気候が広がっていた。総じて、ここはカラクム砂漠の一部だと考えていいのだろう。
そういう訳で、ひと安心だ。なぜならば、もしここがステップだったら「砂漠人」を「ステップ人」に変更しなければならないじゃないか!

見事に育ったザクロの木。育てれば育つのに、庭や畑の世話をする家はほとんどいないのだ。それでいて、実った果実を次々と持っていくんだから砂漠人のお母さんとしてはたまったもんじゃありません。
菜園
リハビリセンターの一角には、砂漠人が去年の春に種をまいた菜園がある。スウェーデンで食べた果物の種や、トマトなどの野菜の種をまいたそうだ。その後、野菜が順調に育っている様子を聞いていたのだが、あるとき悪い知らせが入ってきた。育っていた野菜や果物が羊たちに食べられてしまった、と。

菜園の周囲は柵で囲むでもなくオープンになっているので、羊たちが自由に歩き回っておいしい苗を食べてしまったのだ。現場で仕事をしている砂漠人の弟たちは、忙しくて野菜のことなどかまっていられなかったようだ。砂漠人はせっかくの仕事が台無しになって怒っていたが、よくよく聞いてみればもっともなことだと思った。この町では毎週、市場で新鮮な野菜が安価で手に入る。だから地元の人たちは、庭で育てた野菜などに関心がないのだ。自家製の野菜に価値があると考えることができるのは、市場に流通している青果の質を知っていればこそなのだろう。いまやイランでも、野菜を効率的に育てるために農薬や化学肥料が使われている。それらは砂漠人の理想とする食べものとは異なるものだが、素朴な町の人たちが知るよしもない。

Q: これは何でしょう?

A: スイカです。小さい!
放置された畑ではあったが、それでもいくらか実がなっているものがあった。ミニトマト、メロン、スイカなどだ。畑には牛の糞を敷いて土を作り、種を植えれば、あとはカスピ海の気候と空気が育ててくれるそうだ。今度種をまくときは念を入れて、羊や人間(泥棒)が入らないよう柵を作らねばなるまい。モグラなどの対策も必要だろうか。日本でも家庭菜園を作っている人は多いけれど、わたしはやったことがないので今から楽しみだ。自分の庭から野菜を収穫して料理をするなんて、まるで絵本で読んだ物語のように思える。

メロンです


菜園の周囲は柵で囲むでもなくオープンになっているので、羊たちが自由に歩き回っておいしい苗を食べてしまったのだ。現場で仕事をしている砂漠人の弟たちは、忙しくて野菜のことなどかまっていられなかったようだ。砂漠人はせっかくの仕事が台無しになって怒っていたが、よくよく聞いてみればもっともなことだと思った。この町では毎週、市場で新鮮な野菜が安価で手に入る。だから地元の人たちは、庭で育てた野菜などに関心がないのだ。自家製の野菜に価値があると考えることができるのは、市場に流通している青果の質を知っていればこそなのだろう。いまやイランでも、野菜を効率的に育てるために農薬や化学肥料が使われている。それらは砂漠人の理想とする食べものとは異なるものだが、素朴な町の人たちが知るよしもない。

Q: これは何でしょう?

A: スイカです。小さい!
放置された畑ではあったが、それでもいくらか実がなっているものがあった。ミニトマト、メロン、スイカなどだ。畑には牛の糞を敷いて土を作り、種を植えれば、あとはカスピ海の気候と空気が育ててくれるそうだ。今度種をまくときは念を入れて、羊や人間(泥棒)が入らないよう柵を作らねばなるまい。モグラなどの対策も必要だろうか。日本でも家庭菜園を作っている人は多いけれど、わたしはやったことがないので今から楽しみだ。自分の庭から野菜を収穫して料理をするなんて、まるで絵本で読んだ物語のように思える。

メロンです

羊飼い

リハビリセンターで療養している羊たちは日に一度、敷地の外に出して、散歩がてら野生の草を食べさせている。ここには羊飼いを雇っていないので、その仕事は自分たちでやるのだが、これは隠居仕事としては最高のものなのだそうだ。
小さな羊の群れを連れて散歩に出る。羊たちは自ら草を求めて移動するし、番犬もついているので、羊飼いは羊たちが散歩するのをのんびり眺めていればいいのだ。
奥に見えるのがリハビリセンターじつはイランに滞在中、「ここから逃げ出したい」と思うことがしばしばあった。慣れない環境につい不満をぶつけたくなるのだ。ところが毎日ここに来て小さな群れと散歩をしていると、そういった感情がすべて吹き飛び、この町ほど幸せに過ごせる場所はないとすら思えてくる。それほど穏やかな場所だった。

このとき砂漠からリハビリに来ていた羊は二十数匹。彼らはここで新しい群れをなしているのだが、そのリーダーがこの大きな雄羊だった。トルクメン語で「ゴチ」と呼んでいた。ゴチは砂漠に飼っている今の群れを創った偉大なる父だ。砂漠の羊は全体で数百頭いるけれど、そのうち雄の羊はなんと10頭以下しかいない。残りは全部、雌なのだ。そして雄の羊の中でも一番力のある羊がリーダーとなる。羊たちは通常、人間が近寄ると体に触れられない程度に逃げていくのだが、不思議なことにリーダーだけは一歩前に踏み出して、主人にあいさつに来る。なでてやると擦り寄ってくる。それがこのゴチだった。
ゴチは現役を引退してリハビリセンターに来た。数日間一緒に散歩をして、わたしも砂漠人も楽しいときを過ごさせてもらったけれど、ついにある日、市場に売りに出されてしまった。昨日までわたしに擦り寄ってきていたゴチは、今日はもう誰かのお腹に収まったのかもしれないと思うと愉快ではない。けれど、それが彼らの運命なのだ。
晴れた日の散歩風景
ここにいるときの砂漠人は至福そのもの!

