2017-06

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ジャジキ秘話

ジャジキというと思い出す話があるのですが、それは8年ほど前、ギリシャに約1ヶ月旅行したときのことです。夏のギリシャに三十路の女性が一人旅という、思えば過酷な旅だったのですが、旅の途中でインド系アメリカ人の女性と知り合い、なかよくなって一緒に旅行することになりました。
ある田舎町で一緒に入ったレストランでのことです。彼女はギリシャ料理のヨーグルトソースのことを知っていたようで、それを注文しようと言いました。問題ないのでわたしはOKしましたが、ウェイターは友人のリクエストしている料理をいまいち把握できていないようでした。それでも「野菜の混ざったソースである」ということでお互い納得したらしく、それを注文しました。出てきたソースはヨーグルトではなく、マヨネーズで野菜を和えたようなものだったのですが、当時ジャジキの存在を知らないわたしには問題なく、おいしく食べたように思います。
問題は、食事が終わってから起こりました。会計を友人に任せてトイレに立ったわたしが戻ってくると、友人と会計係のおばさんが口論を始めていたのです。なにやらお釣りを返しただの返していないだの、で争っていました。友人は数学の先生だったし、狡猾さを身につけたインド系アメリカ人だったので、彼女が数字を間違える可能性は低いと思いました。実際、レジのおばさんが間違えていたように記憶しています。友人はカンカンに怒って店の悪口を並べ始めたのですが、その中に「ヨーグルトソースを出さなかった」というのがありました。彼女によると、会計のときになってウェイターがソースのことを「マヨネーズで和えた」と表現したそうなのですが、マヨネーズをいう単語を知っていながら注文のときにはそれを使って説明しなかった… というのです。また数あるレストランの中からわたしたちが選んで入った店なのだから、彼らはサービスを提供する必要がある… というようなことも言っていました。そうはいっても、ギリシャのこんな田舎町のちっぽけなレストランでその理屈は… などと単純な日本人であるわたしは思っていました。
そして店を出るとき、友人はもちろん怒りを露に出て行ったのですが、わたしは「サンキュー」と言って出ました。なぜお礼なんか言うんだと友人が聞くので「だっていずれにしても彼らの食事を食べたじゃない?」と返したら、友人は "Stop that Japanese attitude!" とかなんとか言ったのです。実際のフレーズは忘れてしまったのですが、「その日本人的態度はいい加減にして!」というような内容でした。
そのことをその後何年も考えていました。残りのギリシャ旅行の間、たしかに彼女の言っていることは当たっていると思い直しました。店の用意してくれた食事をいただいたし、おいしかったので、ありがたい。ありがとう。というだけでは、あまりに間抜けです。なぜかというと、ギリシャのその町のレストランが、旅人においしい食事を提供しようというよりは、金持ちの旅行者からいかに多くのお金をだまし取ろう? と考えているのだとしたら、不当にお金を取られた上、お礼を言っていることになるからです。実際、日本人に限らずそういうことをしている旅行者は大勢いるのでしょう。つまりは、お人好しということです。
だから状況に応じて行動したり、状況を把握する知識・能力を持ち合わせてこそ、倫理的にも正しい行動がとれるのだと思いました。日本で育つと特に「無垢であること」や「無邪気であること」をよしとするような風潮があるように思いますが、それは往々にして「無知であること」につながっているんじゃないだろうか。そんなふうに考えました。
ただ、それだけではなく、旅全体を通じての友人の言動を何度も復習すると、彼女のずる賢さも色々見えてきました。宿に泊まるときはまず、自分が貧乏なインド人学生のようなふりをして(彼女のルックスはインド人)宿泊料を安くしてもらう。そしてパスポートを預ける段階で USA の紺色のパスポートを出す。宿主たちはみな騙された! という顔をしていました。ギリシャに旅行にくるアメリカ人ならば、お金は十分に持っているでしょう。その行為が狡猾かどうかは賛否両論あると思いますが、問題はそういうようなずる賢さをわたしや旅行中に出会った他の友人にも使っていたように思います。おそらく彼女にとっては自然に(無意識に)。
人のお金や厚意を利用して自分がいい思いをしようというような人間は世界中どこにでもいますが、それを見抜ける自分でありたいものです。おしまい。

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1月30日

今日は特別な日だった。南の島にいる両親と祖母から電話があり、日本に住む弟家族からテレビ電話があり、友人からカードが届き、世界中の友人からEメールが続々届いた。続々…という部分はうそだが、こんなに大勢の人に祝ってもらったのはここ数年で珍しい。もうすっかり37歳なので、本当は誕生日なんてどうでもいいのだけれど、親しい人からの久しぶりの連絡には心が躍る。わたしの実家メンバーは普段、顔を会わせることはめったにないし、お正月すら連絡がなかったのに、誕生日となるとこぞって電話をかけ合ったりするのでおかしい。
砂漠人は、自分の本当の誕生日を知らない。世界中には今でも戸籍登録などというシステムがない地域はいくらでもあるのだ。そういう人たちには、毎年の誕生祝いなどないのだろう。若い頃、ヨーロッパ人のガールフレンドの誕生日を忘れて痛い目に合ったことが何度もあるそうだ。今回のわたしの誕生日は、一週間前、前日、当日の朝と3回アナウンスをしたので、特別な宴は用意された。

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大好物のムール貝とたまごのついた海老、スモーク・サーモンなどなど。右手前のケーキは「これじゃやだ!」と言ったのに砂漠人が買ってくれた生クリームたっぷりのお菓子(見切り品)。わがままを聞き入れてもらえなかった子供の気分になった。

砂漠的生活で変わったこと

スウェーデンでの砂漠生活を始めて1年が経とうとしている。生活スタイルを変え始めた東京での1年を含めると、砂漠的な生活を2年間、過ごしたことになる。自分はなにがどう変わっただろうか。
もちろん体力と筋力が増し、そのため思考力も増した。以前との差は歴然としている。が、そんなことをくどくど説明するよりも、驚きの事実を一つ書きたいと思う。
なにを隠そう、わたしは後頭部にハゲがある。500円玉くらいの大きさだ。これは学生のときにケガでできたもので、それ以来ずっとある。後頭部にあるということと、髪の毛が長いために、本人は日頃すっかりこの存在を忘れているし、周りも誰も知らないのだが、偶然これを見てしまい、わたしが「ストレスによる円形脱毛症」だと早合点し、わたしのことをかわいそうに思ってくれる人がときどきいたようだ。(違うんですよ。)
それはともかく、つい最近、美容院に行ったときに、美容師さんにこう言われたのだ。
「新しい毛が数本、生えてきていますね。」
「え?」
「髪の毛が2cmくらい生えてきていますよ。2ヶ月くらい前からですかね。」
「え!!!」
なんと、15年以上ウブ毛しかなかった皮膚に、髪の毛が生えてきた。すっかり死んだと思っていた細胞が生き返ったんだろうか? 美容師さんも、これがストレスによる円形脱毛症だと思い込んでいたらしく、2ヶ月前になにかあったかと聞いてきたほどだ。
砂漠的生活の効用は、このくらい驚くべきこともある。

わたしは誰に似ているか

日本画家の内田あぐり氏に言われたことがある。わたしは、「アンドリュー・ワイエスの描く女性に似ている」のだそうだ。2年以上前の話だ。不勉強なわたしはそのときワイエスの絵を知らず、「それはどんな女性ですか?」と聞くと、農場に働く強い女性… そのような説明をしてくれたような気がする。説明の詳細を忘れてしまったのが残念だが、後で調べると、ワイエスはアメリカン・リアリズムの代表的画家で、「ヘルガ」という名前のドイツ系の女性をモデルにして、15年も描き続けたそうだ。このヘルガが、内田氏言うところの農場に働く強い女性のようだった。ところがワイエスの絵に対するどの評論を読んでも、ヘルガは「決して美人ではない」とか、「若くない」とか、「平凡」と表現されるような見かけの女性なのだ。うーむ。

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当時のわたしは普通の都市生活者だったのに、なぜそんな農婦に似ているのかなと不思議に思った。が、今思えば、内田氏はわたしの将来像をピタリと言い当てていたのではないかと、妙な感動がある。わたしの中の農婦的性質を見抜いていたのかもしれない。その後、砂漠人に出会ったわたしは、近い将来砂漠へ移住して、羊などの世話をしながら暮らすことになるのだろう。

ところで内田氏はまた、わたしが「『愛の嵐』のシャーロット・ランプリングに似ている」とも言うのだ。不勉強なわたしはもちろん、こちらもDVDを購入して、その女性像もチェックした。うーむ。ファンは覚えていると思うけれど、DVDのパッケージには、裸(上半身)で踊る例のシーンのランプリングがデザインされている。エロカッコいいとは、まさに、この人のことだ。
正直、残念ながら、似ていないと思う。さらにランプリングが出演する他の映画もチェックしたけれど、観れば観るほど、ランプリングに似ているのは、じつは、内田あぐり氏だということを確信したのだった。



内田あぐりはこんな人。「似てるかも」と思ったらクリック↓

クリスマス・イヴ

夕方、飾りつけを撮ろうと思って家の周りを歩いてみたが、去年ほど電飾が派手ではないようで、ツリーは道路に面した1ヶ所だけ、飾られていた。

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個人的なクリスマスの思い出といえば、やはり、サンタクロースが誰なのかということを知ったときのことが忘れられない。
8歳だったその年のクリスマスの朝、枕元には例年どおり、サンタからのプレゼントが置いてあった。今となっては、プレゼントの中身が何だったか全く覚えていないのだが、ついていたクリスマスカードにはこんなふうに書かれていた。
「新学期になったら、お友達と英語でお話しようね! サンタクロースより」
当時わたしはニュージーランドで小学校に通い始めて3~4ヶ月経ったところだった。全く未知の言語だった英語も、2ヶ月くらいすると、ほぼ不自由なく理解できるようになってくるものだ。みんなが話している内容は分かっていたのだけれど、わたしは決して自分から声を発することはしなかった。笑ったり泣いたりはするし、授業もみなと同じように受けるのだが、「言葉で話す」という行為だけは拒んでいたのだ。
カードに書かれたこのメッセージ、サンタが怒っているのかな? と、幼いわたしは思わなかった。なぜって、その字は、母親の字だったのだから。
後で聞いたところによると、両親は学期の終わりに学校に呼び出され、「お宅のお子さんはオシですか?」と聞かれて驚いたらしい。それにしても、直筆はまずいのでは…。しかも日本語。

それから数年、わたしはサンタの正体を知らないフリをしてクリスマスを過ごした。
おそらく10歳のクリスマスだったと思う。ニュージランドから東京に戻った最初のクリスマス、わたしはサンタに、タイプライターのプレゼントを頼んだ。おもちゃではなく、大人が使う、英文タイプライターのことだ。さすがに高望みしすぎだから、期待どおりのものはもらえないかな、と思いながら寝たものだ。
翌朝、枕元には、あったのだ。タイプライターが。当時八重洲に勤めていた父親が、丸善で買ってきたであろうオリヴェッティの白いタイプライターが、きれいに包まれて置いてあった。そしてこれがサンタからの最後のプレゼントになったと記憶している。

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