2017-05

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トレーニング再開

ひさしぶりに森に入った。おそらく、数ヶ月ぶりじゃないだろうか。今年の冬はあまりにも寒かったのと、森の地面が凍結しがちで滑って危ないので、森でのトレーニングを休んでいたのだ。そしてようやく今日、春が来るよりひと足早く、トレーニングを再開した。
家の裏山にあたる森には、一周1.25kmの周回コースがある。アップダウンがあるので、歩いて一回りするだけでもいくらかの運動になる。わたしたちのプログラムは 4周で1セットが標準だが、だいぶ雪も積もっているし、初日は1周するだけにとどめた。トレーニングは少しでもゆっくりでも、継続してやることで効果が現われると思う。

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すっかり落ちてしまったポパイの筋肉を再建しよう。砂漠人はすっかり太くなってしまったお腹をなんとかしよう。

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生活習慣

年末、地域新聞に「2010年、生活習慣を改善しよう」という記事が載っていた。その小見出しには「家族と旅行しよう」「タバコをやめよう」「アルコールを減らそう」「ヘルシーに食べよう」「運動を始めよう」とある。これを読んで、思わずにんまりしてしまった。アルコールはもともと少ないので別として、現代人の改善すべき生活習慣のすべての項目について、わたし自身はこの三年ですっかり達成しているからだ。
数年前のわたしは体力が極端になくなり、感染症にかかりやすく、イライラしやすく、しばしば眉間に二本のシワが寄っていた。食事をまともに取っていないにもかかわらず、タバコは毎日一箱以上吸い、先のことばかり考えてリラックスすることがなかった。なぜそうなってしまったのか、どうしたらその状態から抜け出せるのかをいつも考えていたけれど、答えはまったく分からない。ただぼんやりと、体を鍛えれば世界観が変わるかもしれないと思っていた。
そんな中、砂漠人にその原因は「環境」にあると言われ、ハッとしたのを覚えている。砂漠人は、東京の中心という人口過密で空気の汚れた場所に暮らしていることに、わたしの生活がうまくいっていない最大の原因があると最初から指摘していた。それまでわたしは自分の精神的弱さだとか、自分自身に原因があると思い込んでいたので、環境という大きな視点は欠けていたのだ。疲れてしまった人が健康を取り戻すための砂漠人の原則は、よい空気+よい食事+休養だ。よく聞くような内容だが、「よい空気」は忘れられがちではないだろうか。
さて、それに気づいたわたしはまず何をしたかというと、東京の地図を見渡して、武蔵野にある職場に近い緑色の敷地のうち一番広いところを探した。それは小金井公園だった。小金井公園は、その敷地が約80万平方メートルもある公園で、小金井カントリークラブと隣り合っているので、さらに大きな緑の地帯になっている。そしてそこに引越をした。
それから毎日、夕食を自分で作るようにした。仕事は定時で終わりにして帰宅し、夕食の準備をしてから外に出て一時間以上歩く。汗をかいて家に戻り、シャワーを浴びたら、夕食を温めてモリモリ食べる。運動してお腹を空かせておけば、「一人で夕食なんて、さみしい…」などというセンチメンタリズムに陥っている暇はないのだ。おかわり、おかわりであっという間に食事が終わってしまう。まるで部活をしている中学生のように。
よく働き、よく食べたら、あとはよく眠るだけ。もちろん、眠るときは心地よい風が部屋に通るように、少しだけ窓を開けて寝る。都会ではこれができない。小さい部屋を閉め切って、下手するとエアコンをつけて眠ったりしている。それから小金井公園に引越して初めての朝、とても驚いたことがある。朝、鳥のさえずりで目が覚めて、窓を開けたら緑色の樹々が目に飛び込んできたのだ。それまで窓を開けると聞こえていた車や電車の音とは対照的に、心と体をリラックスさせるような自然の音、におい、色が感じられたのだった。そんなのはごく当たり前のことかもしれないが、それまではその普通のことが当たり前でなくなるような環境で暮らしていた。東京には自然が残っているとは言ってみても、所詮はそれが都会という環境だ。皇居に住んでいる人はいいかもしれないが、ほとんどの区民はひしめいた兎小屋に住んでいる。

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"CHANGE YOUR LIFE STYLE 2010"

悪しき生活習慣を変えるのは「意志の力」によると考えている人は多い。けれど意志の力には限界があり、それは根性でひねり出すものではなくて、環境を整えることで自然に湧いてくるはずのものだとわたしは思う。環境を包括的に考慮してどれだけ上手に計画できるかが、ダイエットや運動を継続させるための秘訣であり、生きるためのとっておきの手段だ。
しつこいけれど、意志の力よりまずは実用的な「計画」です。

テニス

うちでは毎日、遅い朝食を食べてひと段落したら夕食の準備にとりかかり、ある程度その用意ができたら外に出て運動し、帰ってきて夕食を食べる…という、ゆる~い日課になっている。冬のあいだ、森の中を延々と歩くのに少し飽きていたので、毎日の運動はテニスにとって代わられた。テニスといっても、ボールを打ち合うだけでルールは自己流なのだけれど。

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これが近所のテニスコートで、隣は人工芝のサッカーグラウンドだ。このところほぼ毎日通っているのに、テニスコートはわたしたちの他に使っている人を見たことがない。サッカーグラウンドもテニスコートも、おそらく地元のクラブが管理しているんじゃないかと砂漠人は言っているが、確かではないようだ。サッカーグラウンドの方は時々、使っている人がいる。

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どこが管理しているにしても、テニスコートは毎日自由に使えるのだから、すばらしい。ただ冬には張ってあったネットがなくなっていたので、二週間くらいネットなしで遊んでいたのだが、昨日その姿がひょっこり現われた。ネットがあると、相手のしょぼい打球を拾いに行かなくて済むのでかなり楽なのだ。お互いにね…。

風邪のときは

不覚にも、風邪で寝込んでしまった。とても強い菌だったようで、39度以上の熱が二日間下がらなかったほどだ。高熱が出ると頭が痛くなるし体もつらいのだが、39.5度を超えるとなぜか食べたり歩いたりできるようになった。39.5度を超えると麻酔効果のあるホルモンが出たりするのだろうか?
ところで今回、あまりに体が熱いのでアイスクリームを食べていたら、砂漠人にひどく叱られた。風邪のときは甘いものを食べてはいけないのだという。砂糖は、風邪の菌が増殖するための栄養源になってしまうのだそうだ。果物の糖分はよいらしい。果糖と精製された砂糖の分子は構造がまったく異なるもので、果糖にはミネラルなどが含まれているのだそうだ。そしてもちろん、ビタミンCを含む柑橘類をよく食べるべきだということで、オレンジやレモンの輪切りを食べたりした。わたしが子供の頃は、「風邪のときは食べられるものを何でも食べなさい」ということで、ここぞとばかりにアイスクリームやプリンをリクエストしていたものだが、それは間違っているのだそうだ。
砂漠人は、食べることでしか風邪を治すことはできないと言い、スタミナ料理を作ってはよく食べていた。にんにくやたまねぎを生でかじっていた。そして今日はケバブを数種類作るといってはりきっている。

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数日寝込んでいるうちに、外はすっかり雪景色に変わっていた。森の中を歩くのが楽しみだ。

感覚と進歩

「だってそうでしょ?」
「感覚が鈍ってんだもんー」
養老孟司氏の口調は、非常に小気味よい。人類の進歩について、あるインタビューの中で氏はこのように言っていた。

──人間が以前に持っていた能力をつぶして上に積んでいったとしたら、それは進化ではなく、交換だ。それはピラミッドを土台から積み上げて築くのと、竿を一本建てるのとの違いだ。竿というのはあまりに脆い構造で、そういうものを進歩とは言わない。
感覚が鈍った分だけ他のことができる。でもそのできることは、冷暖房完備で電気がないとできない、エネルギーを借りて来ないとできない、というのでは、それは進歩とは言わない──

この話を聞いたとき、わたしはすぐにイランの村での自分の体験を思い出した。
砂漠人の実家では、洗濯は女性が手洗いをしている。なぜかといえば、全自動洗濯機がないからだ(正確には、あったのだが「洗い」以外の機能が壊れているようで脱水すらできなかった)。当然わたしも手洗いをするしかなかったのだけれど、小さな下着類はともかく、ワンピースや男性の服などはサイズが大きくて、非常に洗いにくい。洗う場所はシャワー室の中にしゃがんで、大きなたらいの中でゴシゴシやる訳で、すぐに腰と背中が痛くなる。普段、しゃがむ姿勢で作業することがないことを痛感する。そしてようやく洗いと濯ぎが終わった後に、脱水。この絞るという作業にはさらなる力が必要なのだった。
そんなこんなで、それまでのトレーニングの甲斐もなく、わたしは手洗いという作業をすぐに諦めざるを得ず、またそのことで、将来の村での生活に異様な不安を覚えてしまった。砂漠人は、全自動洗濯機を買うから問題ないと言っていたけれど、問題は、指1本で洗濯を済ませてきたがために使えない自分の腕力・身体力なのだ。
生活の仕方を昔に戻すべき、とは簡単に言えないけれど、利便性を追求しすぎたために本来人間として持っているべきはずの感覚や身体性を失っているのだとしたら、できればわたしは人間本来の状態に近づきたいし、失った感覚は取り戻すべきだろうと思う。目と頭と口、あるいは指先だけを使って仕事をしていれば、知らないうちに多くのことを見失うはずだ。
自分の感覚が鈍っていること、身体性が偏っていること、考え方が偏っていること、それに気づくためには感覚の訓練が大事なのだろう。頭で考えているだけでなく、身体で実践すること。現代における人としての進歩は、それをすることのうちにあるに違いない。

日課

スウェーデンでの沙漠的生活で、毎日なにをしているかと言うと…。
決して、たくさん食べているだけではないのだ。食事は、人間の生活にとって最も大事なことのひとつだと思うけれど、食事に気をつかっているだけでは生活の質としてはいまひとつだろう。食事でエネルギーを満たしたら、生産的な活動をする必要がある。
毎日、日中は砂漠人と森でウォーキングをしている。自然の中で過ごすこの1~2時間が、生活の中心だ。大事なのは、新鮮な空気をたくさん体に取り込むということと体温を上げて汗をかくということ。だから雨や雪が降っていても、寒くても、着るものを調節すれば毎日歩くことができる。運動をしない人は、ここのところが分かっていない場合が多いように思う。雨が降っている日はむしろ、より浄化された空気を取り込むことができるのに。
ウォーキングから帰ってきたら、すぐに食事ができるよう、支度は事前にやっておく。シャワーを浴びたら食事を温めて、いただきます。ここの部分は毎日繰り返しても、至福の時間として過ごせるものだ。
マラソンやジョギングをしている人に対して、「よく我慢できるなあ」という人がいるけれど、多くのランナーは気持ちがよくて走っている訳で、我慢をしているんじゃないんだよなあと思う。走り終わったらあれを食べよう…などと考えながら走っている人って、結構いるはず。
運動の最大の効果というのは、習慣的に運動することによって得られる「万能感」にあると思う。単純なところでは、ご飯がおいしい、よく眠れる…に始まり、それが基盤となって集中力が増す、仕事がはかどる…などなど。日々の時間をより味わい深く過ごせるというものだ。筋肉モリモリ! だけが運動の効果じゃない。

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