2017-06

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ある日のこと

ガソリンスタンドで砂漠人が給油しているとき、奥で給油している車からこどもの鳴き声が聞こえた。すると外で給油していたその子の父親が空を見上げて「あー、くそっ!」と大きな声でつぶやいたのでよく見ると、ヘリウムガスを含んだ風船が遠く、空の高いところに飛んでいってしまったのが見えた。こどもの風船を誤って飛ばしてしまったらしい。
わたしもこどもの頃に同じ体験をしたことがある。一度手を離れた風船は、宙を舞ってどんどん高みに上り、二度と自分の手元に戻ってくることはない。それはそれは強い喪失感に襲われるものだが、結局そういうことは起こりうる。と、学ぶしかないのだ。
帰りの車の中でそんな話を砂漠人にしていたら、砂漠人は「でもあの父親は随分無抵抗な父親だったな。」と言う。「そうそう。くそっ! って叫んだだけだったよね。」と相づちを打ったものの、わたしがその子の親だったらどうしただろうか。「砂漠人だったらどうするの?」と聞くと、おもしろい答えが返ってきた。いつもどおり。
砂漠人だったら、その子に風船を取り戻そうとする努力を見せるそうだ。彼を肩に担いで、しばらく風船の後を追ってみるとか。その芝居じみた光景がリアルに想像できて笑ってしまった。きっとすぐに男の子は「もういいよ、父さん。無理だよ。追いつけないよ。」と諦めて自分から父親を説得するだろう。そして父親の行動を目にして、風船が大したことじゃないことや、父親が自分を大事にしてくれていることを胸に刻むだろう。しかも、おもしろい。絶対に追いつけるはずのない風船を追いかけるお父さんの姿はとても滑稽じゃないか!
男の子は大泣きしていたけれど、アビによると大事だったのは風船ではなく、そこに括りつけてあった手紙かなにかだったらしい。なるほど、誰かからもらった手紙だったのかな。あるいは間近に迫った母の日のプレゼントだったのかもしれない。男の子がその喪失をうまく解消できるといいなと思う。

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2011

日本より8時間遅れて、スウェーデンも2011年になりました。新年おめでとうございます。
このブログをつけ始めた頃は、砂漠人が用意してくれる食事の内容メモのつもりで記事をアップしていました。当時、東京であまり健康的ではない生活をしていたわたしにとって、砂漠人の暮らしぶり、特に食生活が驚くべきものだったからです。毎日の食事とその準備にかける手間にも感心しましたが、食材に対する深い知識にも感銘を受けました。四年半前のことです。
それからだんだん、砂漠人の食事以外の暮らし方についても理解できるようになっていきました。それはたとえば空気に対する敏感さや、体の動かし方や休ませ方など、「人間と自然環境」というテーマでくくられるような内容ですが、色々な文化圏で過ごした砂漠人の経験に基づいた理論と実践は、わたしにとってはすんなり納得できるものでした。それまで誰からも聞いたことのない、けれど基本的な自然界の成り立ちを、効率よく教わったような数年間でした。
トルクメン・サハラ(イラン側)に移る日はまだまだ遠そうですが、今年もまた気分を新たに生活しようと思います。「食べものブログ」から「手芸ブログ」に変わりそうな『砂漠人』ですが、どちらも本来意図した内容ではありません。が、しばらくはこの調子で続けたいと思います。今年もよろしくお願いします。
最後になりましたが、いつも読んでくださるみなさまへお年玉です。ここをクリックすると、口ひげのない砂漠人(髪の毛あり)の顔が見られます。どうぞ。

浴衣

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友人にいただいた砂漠人の浴衣。残念ながらズボンのサイズが合わず甚平だけだが、草履もぴったり、しっくりきている。スウェーデン男児ではこうは着こなせまい。寝つけないほど疲れがたまっている砂漠人ですが、肌つやは見てのとおりです。

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亡き人に祈る

砂漠人には親友が一人いる。彼の名は、シルワン。二人はこどもの頃からの唯一無二のなかよしで、砂漠人は今でもシルワンといるときが一番ユーモアの花が開くと言っている。それにしてもシルワンという名前は、日本人には覚えやすいのだ。汁碗。
シルワンは若い頃、軍隊に入隊するのがどうしても嫌だった。そこで亡くなった親戚のおじさんのお墓に行って、入隊せずに済むようおじさんに祈りに行こうと砂漠人に持ちかけてきた。なんでもシルワンのお母さんによると、亡くなったそのおじさんにお願いすると、かなりの割合で願いが叶うのだそうだ。親友の砂漠人はもちろん、シルワンと一緒に遠くの墓まで出かけることに決めた。
二人はお墓の周りをぐるぐる周りながら、それぞれの願いをおじさんに訴えた。シルワンは「入隊せずに済みますように」。砂漠人は、当時深く愛していた女性がいて、その女性と結婚できるよう願ったそうだ。何時間もお墓の周りを回って真剣に祈り続ける二人。日本の百度参りのようなものだろうか。申し訳ないが、その信心深さと純粋さに大笑いしてしまった。なぜって、彼らの年の頃はすでに十八、十九だったというのだから。もっとも砂漠人が言うには、シルワンの方がこのお参りに真剣に勝負をかけていたらしく、りんごやら色々なお供え物もたくさん抱えて行ったそうだ。
さて、シルワンはその後どうなったか。なんと入隊を免れたのだった。健康状態が不良ということで、検査ではじかれたそうだ。もちろん、シルワンの必死の演技だったに違いあるまい。彼はその後、カスピ海で海の男となりチョウザメ大将となった。そして砂漠人の運命はどうだったか。彼はその女性のご両親にごあいさつに行ったそうだ。貧しい砂漠人に比べて、その女性が育ったのは裕福な家だった。門前の砂漠人を見て女性の母親は、「NO! さっさと帰りなさい!」と言ったそうな。そしてそれは、砂漠人の長い長いヨーロッパ放浪のきっかけとなってしまった。

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くり騒動

つい最近買ったピザ用の石焼きオーブンで、砂漠人はこれを焼こうとした。

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栗。市場で見つけた生の栗だ。それをゴロンゴロンとオーブンに放り込んでしまったのだ。石が変に汚れるのではないかと思い、わたしはこのオーブンで栗を焼くことに最初から否定的だったのだが…。

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みごとに爆発した。栗に熱が通り、その圧力で皮がはじけて、一つ目の「ポンッ!」という大きな音がしたと思ったら、まるでポップコーンのように他の栗もポンポンはじけ出したのだ。火を消してそのままにしておけばいいものを、砂漠人は急いでオーブンのフタを開けて、石から栗を取り除いた(落とした)。それはそれは野性的に。

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コンロじゅうに栗の残骸が散らばり、台所の壁3面+棚の底面+床に栗の粒が飛び散っていた。それでもなお、余熱ではじける栗爆弾。火傷するんじゃないかとヒヤヒヤしたが、しばらくして無事に鎮火し、騒動は収まった。

時間をかけて台所を掃除した翌朝、今度はこんなことをやっている砂漠人。

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電気コンロに直火で栗を温めていた。細かいことはあまり気にしない人種なのだ。

ラヴァシュ

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砂漠人は、ラヴァシュという薄く焼いたパンが大好物だ。これにスモークサーモンやチーズ、ハーブなどを巻き込んで食べる朝食は、特別に元気の出るメニュー。

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↑アビこと、砂漠人。砂漠人は基本的に陽気でサービス精神旺盛、写真を撮ろうとすると必ずなにかパフォーマンスをしてくれる。友人の間では、スイカの志村食いでも有名だ(おそらく志村けんよりは先にやっていただろうけど)。わたしの弟は砂漠人のことを「昔の日本人みたい」と言っていたが、それはわりとうまい表現だと思った。説教が多いということでないといいのだが。

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↑こうやって丸めて、

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↑こうやって食べる。

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砂漠人に学ぶナチュラルライフ
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