2007-12

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食用ほおずき

スウェーデンは今、まだ30日です(日本より8時間遅れ)。
今日は年末ということで、市場の野菜や果物の値段がいつもより割り増しだった。年が明けるとモノの値段は一気に下がって、セール期間に入るそうだ。そのせいか、今日は市場でもあまりたくさん買わなかったので、珍しい買物を2つだけ紹介。

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ほおずき、ほおづき。「えー、こんなの食べるか?」と思って今まで見かけても無視していたのだが、なんと砂漠人が買ってしまった。食べてみると、案外、まずくない。トマトたくさんとオレンジとチェリーを混ぜたような味(わたしの味覚表現はあてになりませんので、あしからず)。
インターネットで調べた限りでは、日本でも「食用ほおずき」として栽培されているようで、いくらか情報が載っている。ストロベリートマトとか、オレンジチェリーという名前をつけて売っているようだ。

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これはトルコ産のはちみつ。蜜のかたまりが入っていて、おいしそう…。
ミツバチと、花と、蜜。養蜂家の生活は、自然の中で楽しそうだ。毎朝、焼きたてのパンにバターとはちみつをたっぷり塗って… などと想像してしまうが、実際何を食べているんだろう。

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晴れ

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今朝は目が覚めて、いつもと何かが違うと感じた。晴れだ! 最後に太陽を見たのがいつだったか思い出せないほど曇りと雨が続いていたので、とてもいい気分だ。外が光っているなあ。

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ずっと光を待っていた植物たち。これらは全部、砂漠人が世話してきたもので、いまやわたしが引き継いで水やりをしている。砂漠人が鉢植えを買うはずはないので、おそらく人から譲り受けたものだと思う。これが繁殖しまくりなのだ。どう考えても、空気がきれいだからだと思う。そして、冬でも部屋の中が暖かく、一日のうちの温度差が激しくないことも影響しているんだと思う。都内のマンションで鉢植えを育てていたときは、どうしてどれもこれも枯れていくのか、はっきり分からなかったけど、原因は、その自然環境にあったのだと確信する。
人間も植物も、新鮮な空気と明るい光が必要なのだ。

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トルクメン語

トルクメン語は、チュルク語族に属す言語で、チュルク語はアルタイ諸語の一つとされている。概してトルクメン語は、トルコ語に似ているらしい(トルコ語がさっぱりの人にはあまり意味がない説明だけれど)。そしてなんと、日本語がアルタイ諸語と同系だという説があるそうだ。確かに、トルクメン語の語順は日本語とまったく同じなので、習ってみるとちょっとした感動がある。トルクメン語で文章を作るときは、まずは日本語で考えて、それを単語ごとに順々に訳していけばいいというわけだ。

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一方、たとえば英語で文章を作るときは、日本語を考えてそれを訳そうなどと思うと、よく失敗する。日本語で言いたい内容を要約して、最も重要な点から話していく…というようにしないと、何がポイントなのか分からなくなりがちなのだ。英語と比べると日本語は、述部が文章の最後に来るということと、物事をはっきり際立てずに雰囲気でまとめるということが特徴になるように思うけれど、トルクメン語もそんな言葉だったらおもしろい。トルクメン人と日本人の精神性まで似ているのではないか…という期待を抱いてみたりするが、こればっかりはトルクメン語が上達してみないと分からない。砂漠で生きていた遊牧民と日本人が似ているはずがないと思ったりもする。

スパゲティ

夕食は、ボロネーズ・ソースのスパゲティだった。

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これも砂漠人風と呼ぶしかないような気がする。パスタが焦げてるのではなく、焦がしてあるのだ。ライスと同じく、砂漠人がお焦げを作り始めたので驚いた。まずはフライパンにバターを敷き、茹でたスパゲティを入れ、焼いてから蒸し、盛りつけへ。焼き上がったスパゲティは、まるでスズメバチの巣のような模様だった。

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でもなんと、茹でただけのパスタより焦げたところの方が味があった。食感だけで言えば、茹でていないパスタと同じなんだけど。

朝食

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先日写真に撮った巨大ぶどう、大きさがうまく示されていなかったようなので、再挑戦。これで1房です。華のない最近の朝食のメインとなってくれた。
それにしてもこれだけぎっしり、ずっしり、実がついて、どうやって枝にぶら下がっていたんだろう?

日課

スウェーデンでの沙漠的生活で、毎日なにをしているかと言うと…。
決して、たくさん食べているだけではないのだ。食事は、人間の生活にとって最も大事なことのひとつだと思うけれど、食事に気をつかっているだけでは生活の質としてはいまひとつだろう。食事でエネルギーを満たしたら、生産的な活動をする必要がある。
毎日、日中は砂漠人と森でウォーキングをしている。自然の中で過ごすこの1~2時間が、生活の中心だ。大事なのは、新鮮な空気をたくさん体に取り込むということと体温を上げて汗をかくということ。だから雨や雪が降っていても、寒くても、着るものを調節すれば毎日歩くことができる。運動をしない人は、ここのところが分かっていない場合が多いように思う。雨が降っている日はむしろ、より浄化された空気を取り込むことができるのに。
ウォーキングから帰ってきたら、すぐに食事ができるよう、支度は事前にやっておく。シャワーを浴びたら食事を温めて、いただきます。ここの部分は毎日繰り返しても、至福の時間として過ごせるものだ。
マラソンやジョギングをしている人に対して、「よく我慢できるなあ」という人がいるけれど、多くのランナーは気持ちがよくて走っている訳で、我慢をしているんじゃないんだよなあと思う。走り終わったらあれを食べよう…などと考えながら走っている人って、結構いるはず。
運動の最大の効果というのは、習慣的に運動することによって得られる「万能感」にあると思う。単純なところでは、ご飯がおいしい、よく眠れる…に始まり、それが基盤となって集中力が増す、仕事がはかどる…などなど。日々の時間をより味わい深く過ごせるというものだ。筋肉モリモリ! だけが運動の効果じゃない。

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デュシェメ

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ライスの下から魚が出てくるというちょっとおもしろいこの料理は、「デュシェメ」という。アクセントは最後の「メ」につけると、それっぽく聞こえる。トルクメン語で「デュシェメク」は、「広げる」とか「敷き詰める」という意味の動詞で、「絨毯を広げる」などという場合に使われるようだ。ライスの下に魚を敷き詰めるから、デュシェメなのだそうだ。
料理手順はこんなでした。

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食いしん坊

今日は肉と野菜と豆の煮込み料理、ゴルメ。毎回、セロリを1束丸ごと使うのだから感心してしまう。日本では、セロリは「本」単位で売っているのに。
セロリが嫌いだという人は、結構いる。食べものの好き嫌いというのは、その人がおいしい「それ」を食べたことがあるかどうかにかかっているように思う。たとえば、にんじん。甘くてみずみずしいにんじんをかじったことのある人は、にんじんのおいしさを知っているから、多少甘みの足りないにんじんを食べたときも、そこにあるはずのおいしさを十分に引き出して(思い出して?)食べることができる。一方、おいしいにんじんを食べたことのない人は、その旨味を探し当てることができないだろうから、いつまで経ってもおいしいと思えない、と。まるでプラトンのイデア論だけれど。
ともあれ、好きな食べものがたくさんある人になりたいものだ。

新鮮でおいしい食べものに出会うというのは、そんなに簡単ではないけれど、もっと大事だと思うのは、食べるときにお腹が空いているかどうかということだ。頭や身体を十分に働かせてエネルギーを使い切ってから摂る食事ほどおいしいものはない、と思う。

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クリスマス・イヴ

夕方、飾りつけを撮ろうと思って家の周りを歩いてみたが、去年ほど電飾が派手ではないようで、ツリーは道路に面した1ヶ所だけ、飾られていた。

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個人的なクリスマスの思い出といえば、やはり、サンタクロースが誰なのかということを知ったときのことが忘れられない。
8歳だったその年のクリスマスの朝、枕元には例年どおり、サンタからのプレゼントが置いてあった。今となっては、プレゼントの中身が何だったか全く覚えていないのだが、ついていたクリスマスカードにはこんなふうに書かれていた。
「新学期になったら、お友達と英語でお話しようね! サンタクロースより」
当時わたしはニュージーランドで小学校に通い始めて3~4ヶ月経ったところだった。全く未知の言語だった英語も、2ヶ月くらいすると、ほぼ不自由なく理解できるようになってくるものだ。みんなが話している内容は分かっていたのだけれど、わたしは決して自分から声を発することはしなかった。笑ったり泣いたりはするし、授業もみなと同じように受けるのだが、「言葉で話す」という行為だけは拒んでいたのだ。
カードに書かれたこのメッセージ、サンタが怒っているのかな? と、幼いわたしは思わなかった。なぜって、その字は、母親の字だったのだから。
後で聞いたところによると、両親は学期の終わりに学校に呼び出され、「お宅のお子さんはオシですか?」と聞かれて驚いたらしい。それにしても、直筆はまずいのでは…。しかも日本語。

それから数年、わたしはサンタの正体を知らないフリをしてクリスマスを過ごした。
おそらく10歳のクリスマスだったと思う。ニュージランドから東京に戻った最初のクリスマス、わたしはサンタに、タイプライターのプレゼントを頼んだ。おもちゃではなく、大人が使う、英文タイプライターのことだ。さすがに高望みしすぎだから、期待どおりのものはもらえないかな、と思いながら寝たものだ。
翌朝、枕元には、あったのだ。タイプライターが。当時八重洲に勤めていた父親が、丸善で買ってきたであろうオリヴェッティの白いタイプライターが、きれいに包まれて置いてあった。そしてこれがサンタからの最後のプレゼントになったと記憶している。

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野菜や果物

今週末の市場は、クリスマス前なので混んでいるかと思ったらそうでもなかった。いつも行くこの市場は、認可されないまま移民がやっているようで、市としてはやめさせたいようだ。何度か新聞にもこの市場についての記事が掲載されたことがあって、議論があるらしい。実際は、買物に来るスウェーデン人も増えてきているようだし、人々の生活を支えるこれだけの市場を閉じることは意味がないように思える。

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トマト、チリ、セロリ、ズッキーニ、ぶどう、チェリー、ざくろ、オレンジ…などを買った。今回珍しかったのはチェリーだ。他の果物に比べて割高だったけど、クリスマスや新年のお祝いに買っていく人を見込んだのだと思う。クリスマスは特に祝わないのに、砂漠人もチェリーを買ってくれた。
よく考えたらチェリーに限らず、お店で買える野菜や果物は、ほとんど冷凍保管されたものなんだということに思いあたった。じゃがいもだって、「新じゃが」として売っている場合はその時期に穫れたものかもしれないけど、それ以外の時期はすべて農協かどこかの倉庫に保管されていたものだ。実際は何ヶ月も前に収穫が終わって、寝かされたり運ばれたりしていた野菜や果物なのに、自分のイメージの中では、いつも穫れたての野菜や果物を買っているつもりだった。まぬけだ。それにしても、その冷凍保管の技術には関心してしまう。

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最近は、市場で「生姜」を買うようになった。わたしは生姜がわりと好きで、紅茶やスープにたくさん入れたいほうだ。
レジでお金を払っているわたしのところに砂漠人が生姜を持ってやってきて、「チンチン!」「チンチン!」と一所懸命言っているので、まったく公衆の面前で変なことを言い出すなと思っていたら、「ジンジャー(生姜を忘れてるよ)!」と言いたかったようだ。砂漠人にとってジンジャーは馴染みがないらしく、単語を覚えるのが難しかったようで…。あたりに日本語が分かる人がいるはずもなく、一人でウケてしまった。

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種なしの緑色のぶどうは、1箱(これ全部で)510円くらいだった。トルコ産のようだ。洗っていてあまりに巨大な房が出てきたので、お披露目です。サイズが分かるように、とっさにナイフとフォークを置いてみましたが… どうでしょうかね。

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鉄について

体中に酸素を運んでいるのは血液だ。
…ということを、知っていたつもりできちんと認識していなかった。血液の中の赤血球にはヘモグロビンが含まれていて、このヘモグロビンが酸素を磁石のようにくっつけて、体中へ運んでいる。だから鉄が不足して血液が順調に体内を廻っていないと、いくらきれいな空気をたくさん吸ったところで、体に取り込まれないという訳だ。なるほどー、血を増やすと気力も充実しそうだ。
このところ、夕食はサーモン三昧だ。例のアラスカ産サーモンをまた最寄りのスーパーで見つけたので、沙漠人はあるだけ全部買い占めたのだった。丸5匹。この魚は汚染の少ない海を自由に泳ぎ回っているから鉄分を多く含んでいるとのこと。

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今日、砂漠人の故郷ではグルバン・バイラムという犠牲祭だった。羊とヤギを殺したそうだ。その肉は、家族や貧しい人たちに分け与えられるのだという。
お金がなく貧しいとされている砂漠地域の人々だが、彼らはきれいな空気を吸い、放牧されて育った羊の肉を食べ、体中を酸素が廻っていることだろう。一方、数百兆円というGDPがある日本の都市圏での生活では、大気汚染や食品汚染、あるいは生活習慣の悪さなどを総合すると、人々はほとんど酸欠状態のはずだ。豊かさとはなにかを考え直すまでもない。

中華風

最近、砂漠人は中国に強い関心があるようで、You Tubeで中国に関する色々な動画を見ている。もちろん伝統的な生活とか、自然というテーマを中心に。中国西部の砂漠地方の民族が話している言葉を、砂漠人は理解できるらしい。中国語は分からなくても、中国語とトルクメン語の間… みたいな言語があるのだろうか?
さて、料理も今日は中華風に作る、と意気込んだ沙漠人。わたしは久しぶりに中華料理の味を思い出し、ものすごく高い理想を抱いてしまったのだが、でき上がったのはいつもと同じ、砂漠人風。いつもどおりのゴルメでした。

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注連縄

来週はクリスマスということで、ほとんどがクリスチャンであるフラットの住人たちは、家の中やベランダに飾りつけをしている。世代が上になればなるほど、クリスマスの飾りつけは重要なようで、こどもがいる家庭では、こどものためにせっせとデコレーション。どこの国も同じだなあ。
同じフラットの6軒のうち、ほとんどの家がドアにリースをつけているので、自宅のドアが妙にわびしく見えていました。そこでわたしもなにか飾ろうと思い立ち、森で材料を吟味して一気に作り上げた注連縄(しめなわ)、どうでしょうか? 日本人としてちょっと誇らしいんですけど!

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注連縄なんて、作ったことも作ろうと思ったこともないのに、なぜか自然に形づくられました。さすがに稲藁は手に入らないので、縄はスウェーデン風に締めてみました(蔓ですが)。友人に、注連縄研究家がいるのですが、彼女のことを思い出しました。これを見たらきっと、笑うでしょう。注連縄というより、「しめの輪」ですな。

お隣さんたちのリースも勝手に公開。

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残念なのは、うちは最上階なので、誰も見に来ないということ。

サーモンのフライ

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アラスカ産サーモンのフライ。塩をふって、素揚げするのが砂漠風のようだ。野菜も揚げて、ライスと一緒に食べる。ライスには、ディルやミントが入っていて風味があり、少しだけ塩気もある。

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魚は体によいと叫ばれて久しいけれど、ダイオキシンやらなにやら、心配はつきない。なぜ心配かといえば、あまりに色々な情報が交錯していて「日本近海の魚は食べない方がよい」とか、「輸入の養殖ものはダイオキシン濃度がさらに高い」とか、「毒を体内に取り込むリスクよりも栄養素を摂らないリスクの方が高い」だとか、知れば知るほど不安になるからだ。だからみなそれぞれに、自分を納得させるための適当な情報を信じて生活しているだけ。安全という保証がないのだ。
砂漠人がこどもの頃は、カスピ海で天然の魚を獲って食べていたそうだ。たった数十年前なのに、わたしが抱く原始人のイメージに近い生活をしていたようで、うらやましい。夏場は魚にとって繁殖の時期なので、人間が飢えていても決して漁をしなかったそうだ。少し前までは世界中どこでもそんな暮らしをしていたはずなのに、ひどく変わってしまったのだと思う。

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ともあれ魚を食べる訳ですが、砂漠人がスーパーで見つけると掴んで離さない魚はこれ。アラスカ産サーモンの1匹まるごと。砂漠人は、切身を信用しない。自然のまま、なるべく手つかずの状態で冷凍されたものが最良と考えているようだ。だから、アラスカの海で回遊しているこのサーモンを買ってくる(ただし、手頃な値段のときだけ)。ちなみに、養殖の魚は調理するとすぐに分かるそうだ。
ためらいのない捌きっぷりはこんな感じでした。

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いくつかの切身は袋に入れて、即冷凍庫へ。

市場

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今週も、食料の買い出しに市場へ出かけた。一週間が早い。ここの生活では、冷蔵庫の中身の減り具合で、「ああ週末か…」と感じるようになる。金曜日にもなると、もうスカスカだ。2人でこれだけの野菜と果物を食べ切っているというのは、まとめて写真で見てみると感動的だ。以前の自分が一週間に食べていた量といえば、トマト2個、メロン0個、ざくろ0個、ぶどう1房、りんご3個、ねぎ1本、ほうれん草1束…、こんなところかな? 一体、なにを食べて生きていたんだろう? ほとんどがお米やパスタなどの炭水化物だったに違いない。それと、コーヒーやお菓子。さらに、以前のわたしの朝食はといえば… タバコだった。当時は体調がいいことは稀で、朝起きられず(変わってないけど)、むりやり起きて、食べ物が喉を通らないからといってセブンスターを吸って目を覚ましていた。よく生きていたもんだ。実際は生き延びていただけで、体は死にかかっていたんだろうと思うが。

人間は変わるものだ。というよりは、変えることができる。家畜や植物と同じで、空気、食べ物、休息など環境を整えてやると、見事に生き返る。人とは、自然そのものなのだとあらためて理解できる。セブンスターで生き延びていたわたしは、今ではこれだけの量の食料を砂漠人と2人で抱えて家まで運ぶくらい、パワフルになった。

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買ったものを台所で並べ直して撮影。Decorated by desert man. 砂漠人は、こういうことを嫌がらずに、むしろ進んでやってくれるのだからおもしろい。

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スープ

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おいしくて、簡単で、体にいい食事を作りたいけどいいアイディアがない、という人にオススメは、絶対これ。スープです。砂漠的には、2日に1日はスープを食べる。
欠かせない材料は、肉、じゃがいも、にんじん、トマト。トマトは生がなければ水煮やペーストを使う。その他はネギとか、きのことか、余っているどんな野菜を入れてもいい。タンパク質を増やしたいときは、豆を入れるといい。わたしは好きじゃないのだけれど、じゃがいもに飽きたのか、砂漠人は料理の最後にパスタを入れている。
スープに肝心なのは、出汁だ。一番手軽でおいしく取れるのは、やはり肉だと思う。鶏肉なら必ず骨つきの肉を。塊の肉が高くて買えないという人は、挽肉に塩、スパイス、ねぎなどでだんごを作り、それをスープにすると旨味が出る。それから、にんにく・生姜・唐辛子などをすりおろして入れると、アクセントになる。豆板醤なんかをたくさん入れて食べるのは、肉や野菜から出るスープの旨味を台無しにしてしまうということを悟りました(いつもよくやってたけど…)。

挽肉を買うときは、できるだけ肉屋で、その場で挽いてもらいたいものだ。それが無理なら、どの肉とどの肉を挽いたものかを肉屋に聞くべきだ。肉に限った話ではないけれど、消費者のその関心が、必ず肉屋の姿勢に届くはずだから。
よい暮らしというものは、能動的にしなくては絶対に成り立たない。受身的に、たとえ善良に生きたところで、質の高い生活へは自然には到達しないのだ。そんなことを日々、砂漠人から教わっていると思う。

中学で習ったこと

この時期、スウェーデンの天気はひどい。あまりに、どんよりしている。
朝、目が覚めて窓の外を見ると、曇りがかった白い空。雲が一面を覆っている。しかもそれが毎日だ。昼になっても色が変わらず、青い空は一向に見えてこない。そして夜が来て、暗くなる。いやー、気分が落ちる落ちる。
天気なんかに左右されてはならぬ、といつもどおり森へウォーキングに行く。

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「スウェーデンは世界一自殺率が高い」というような内容を、中学の教科書で読んだ記憶があるのだが、それは全くのまちがいだと砂漠人に一喝されてしまった。インターネットで調べた限りでは、たしかに自殺率が高いのはスウェーデンではなく、日本だった。しかも先進国でダントツに高い。
スウェーデンの自殺率が高いというのはまちがいのようだ。なぜそんなレベルの内容が教科書に載るのだろう。あるいはわたしの記憶違いだろうか。

これと似たようなことで、「日本は天然資源に恵まれていないから、資源を輸入して、それを加工して輸出するしかない」というような内容を、中学の社会科で教わった記憶があるのだが(こちらは確実に覚えている)、今になってよく考えると、これはあまりにひどい。当時中学生だったわたしは、自国の産業の状況にすっかり絶望したものだった。技術とか機械とか、そんなものはまったく魅力的に感じなかったからだ。それが自国の産業の中心だなんて。今だって、「技術大国」を謳いつづけている国の状況は大して変わっていない。それどころか拍車がかかっているけれど、これだけの気候風土を持つ日本が、どうして農業国になれないのだろうか。なぜ食物の自給すらできないのだろうか。

チェックディルマ

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"chekdirma"でGoogle検索すると、トルクメンのソウルフード、チェックディルマが出てきた。これは以前にアフガン・トルクメンのお客さんが作ってくれたのと見かけがかなり似ている! オイルを半リットルくらい使った、お米がピカピカしてるやつだったけど、おそらくこれが本場の味なんだろうと思う。
砂漠人の料理は、油を極力使わない。油分が必要な場合はできるだけ、肉についている自然の脂を使うのだ。だから砂漠人の料理はたくさん食べてももたれないし、パワーがつく。無駄に太る心配もない。元気が出ると、物事に積極的に取り組む意欲が湧いて、気力と体力が充実してくる。ここが肝心で、この元気の素を毎日毎日補給しないと人間はひからびてしまうのだ。

以下、砂漠人式チェックディルマの作り方。

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仕事

仕事は、どんな仕事でも生産的な意義がないといけない。自分がしている仕事が、ただ消費するだけの活動だったら、やり方を変えた方がいいだろう。それは空しいだけじゃなく、廻り廻って自分以外の環境をも侵すことになりかねないからだ。
勉強も、運動も、会社の仕事も、家事も、政治も、仕事はなんでもそうだ。建設的で、価値のある仕事の仕方をしなくては。消費しまくって、消費されまくって人生おわりでは、あまりにもイタい。

ゴルメ

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肉・豆・野菜を煮込んでライスと食べる料理、ゴルメ。
作り方は下のとおり。

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人生は、豊かな食事。




伝統的な食事

現代生活における伝統的な食事について。
「現代人の食生活は欧米型になり健康が害されている。いまこそ日本の伝統的な食事を見直した方がよい」という志向がある。もっともな話で、わたしもこれに異議を唱えることはないけれど…。

仮に、日本の伝統的な食事を「ごはんとみそ汁に、野菜や魚や大豆などのおかずを組み合わせて作るもの」だとすると、この忙しい現代生活において、そんな食事を毎日用意できるだろうか。もちろん、食事の内容だけ伝統的なものにしようと思えば、たとえばみそ汁や煮物はインスタントだしを使って、野菜もソースやドレッシングを使って… とやれば、できないことはない。でもこれでは、形式的には伝統食に見えても、食事の質がまったく異なるものになってしまう。本末転倒だ。
煮物や焼き魚がよいことは分かるけど、生活における「食」以外の部分をあまりに効率的に回しているのに、そこだけのんびり伝統食、というのは突飛に思えて仕方がない。もちろん、だからこそ食以外の部分も伝統的な方向へ少し戻せばよいとわたしは思っている訳ですが。それは、生活の仕方を昔に戻すということではなくて、生活の本質についての考え方を伝統に習うべきということだ。日常生活における行動のうち、本来人間としてすべきことに絞ってみる、とか。テレビを見るのをやめる、とか。

現代生活においては、食事の支度に時間が割けないのであれば(ほとんどの人は割けない)、実践不可能な「伝統食づくり」を謳うのではなくて、短時間で効率よく作れる質の高い食事を実践する必要があると思う。「伝統食を」とは言うけれど、食事の支度を手伝ってくれない夫やこどもがいて、外で仕事までしている女性に時間をかけて作れというんだろうか。運よく、主婦が専業だったとしても、主婦一人が伝統的な食事を実践し、他の家族メンバーはみな現代生活。これじゃなにかがおかしい。伝統的に、夫は12時間も家を空けるサラリーマンじゃなかったはずだし、こどもは自分の勉強や趣味だけに時間を費やしていなかったはず。
また、食事に家族団欒の役割が強調されているけれど、それ以前に食事には、人として生きて活動していくための栄養を摂るという重要な役割があったはずだ。色々な「こ食」は問題とされている一方、一人で食べようと大勢で食べようと、食事の質がよいものであれば、それはあまり問題にならないだろう。

まあ、いろいろ懸念はあるものの、実践が第一と考えるわたしとしては、「冬になると毎日、鍋」なんていうのはとてもいいんじゃないかと思っている。

スープ

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お米を食べる日と交互に、週に3回はスープを食べる。今日のスープはミートボールとスモークハムが入っていた。

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ミートボールは、ラムの挽肉に唐辛子・にんにく・トマトのペースト、塩、ターメリックなどのスパイスを入れ、こねる。他の野菜は皮を剥いてきれいしておく(これは助手の仕事)。

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なぜか砂漠人のミートボールやケバブはこの形。手で握って自然にできる形のようだ。確かに火の通りもいいし、食べやすい。(が、わたしには、ちょっとだけ変な形に思えて仕方がない。)

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鍋いっぱいに水を入れ、肉や野菜を根気よく煮込む。これには数時間かかるけど、森にウォーキングに行っている間にちょうどよく仕上がる算段だ。

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スープは卓上でお皿に盛る。
スープをお皿で食べるのは、日本人にとって不思議でならない。英語ではスープを「食べる」というし。トルクメン語では、スープは「飲む」ものだ。これにはなんだか親近感が湧いてくる。

チェックディルマ

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使った野菜は、かぼちゃとにんじん。それぞれを適当な大きさに切る。

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まずは牛肉をじっくりと焼いてから、かぼちゃも焼き色がつくまで、かなり時間をかけて焼きます。その後、にんにく・唐辛子・トマトのペーストをつけて、にんじんも加えてさらに火を通す。
十分に火が通ったら野菜を取り出し、肉だけを鍋に残して湯を加え、しっかり煮込む。肉が柔らかくなったら湯を足して、ライスを入れて炊き込みます。

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季節のかぼちゃの甘みを活かしたチェックディルマ。牛肉とかぼちゃとライスのお焦げ(ケスメック)を一緒に口の中に放りこむと、なんともいえない味の調和が…。

最近は、ライスはお焦げの部分の方がおいしく感じるようになってきた。また、素手(右手)で食べるコツがつかめてきた。

ポーランドのケーキ

市場にあるポーランド人の露店でときどき買う、スィーツの紹介。こういった甘いお菓子は農家の手作りのようで、いつも売っているとは限らないのだ。

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今回初めて食べたこれはセルニックという菓子で、砂漠人が値切っても770円くらいだった。高ーい! と思ったけれど、よく考えたら、日本なら(スウェーデンでも)その値段では買えない品質でした。
柔らかめのココア生地に挟まれているのは、チーズ。砂漠人は、牛がこどもを産んだ後に出す最初の乳(母乳?)だと言っていた。チーズには緑の干しぶどうが練り込まれています。ティラミスよりあっさりしているけど、コクはある。極ウマです。四つ切りにしてかぶりつきたいところですが、薄くスライスして少しずつ、食べます。
スーパーで買ってくる牛乳というのは、脂肪分を取り除いた後に水を混ぜたような味がしているはず。牛から絞ったばかりの乳を飲んでみたいなあ。

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これはマコーヴィッツという控えめな甘さのパンといったところ。でも表面に砂糖がけしてあるので、適度に甘いです。中身は、つぶつぶしたもので、ポピーシード、つまりケシの実かと思います。これがよいアクセントになっています。

このお菓子を買えたとき、砂漠人は、お茶の時間に味見することを想像しているのか、若干わくわくしています。

スープ(子羊の頭)

砂漠人は昨日肉屋で買ってきた子羊の頭を料理した。

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まずは袋から取り出して、軽く洗う。口のまわりの毛はついたままだし、やわらかそうな舌もついたままだ。頭やあごの毛を触ってみたけれど、柔らかい。なんだか生きていたときのかわいい子羊が想像できるようだ。

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圧力鍋に入れて、煮込むこと3時間くらい。このように火が通りました。うーん、まだ羊の頭そのものだ…。骨や歯や毛を取り除いて、食べられる部分だけを鍋に戻し、野菜などを加えてさらに煮込む。

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そしてスープが完成。透き通ったスープで、羊の頭の味がした…。

ところで、『いのちの食べかた』という映画が話題になっているようです。

食材について

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今週市場で買った野菜と果物。くどいようですが、2人の一週間分です。
よい食事をするためには、よい食材を手に入れなければ始まらないということを、砂漠人は身を以て教えてくれる。これは、簡単なことではないのだ。同じ市場に行ったとしても、どの食材がよい食材なのかを判断できないと手に入れられないからだ。そのためには、自分の中に潜んでいるはずの、自然の感覚を磨いていくしかない。

肉屋

今日は市場の後にオリエンタル食品店に寄って、肉とピクルスなどの食品を買った。極東出身のわたしからしたら、イランなど西アジアの食品をオリエンタルと呼ぶのは妙な感じがするのですが。

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この肉屋では、イスラムの正式な屠殺方法で殺された肉しか売っていない。また豚肉は置いていない。自分がどの部位をどのくらい欲しいかを注文し、さばいてもらうことになっている。
砂漠人はいつも、羊の挽肉の真空パック(1~2kg)を1袋買う。袋から出したものも店頭に出ているが、真空パックの方が鮮度が保たれているからだという。

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肉屋の奥には、牛や羊の皮を剥がして血抜きし、吊るしたものが並べられている。これなら食品偽装の心配はなく、安心だ。もっとも、イスラム教徒は食品に対して宗教上きちんとした制限があるので、挽肉に肉以外のものを混ぜるなど、悪賢いやり方はしないだろうと思う。
店頭のショーケースには、内蔵や細かい部位がきれいに並べられている。残念ながら、写真を撮っていたらすかさず店の店主がやってきて、その一枚は削除させられてしまった。店の中の撮影をする場合は、一言お断りをすべきでした。…とはいえ、上の写真は削除した「フリ」でなんとか確保。

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肉は、自宅に帰ったらすぐに小分けにして、冷凍する。これは牛肉。

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これは羊の頭。明日はこれを料理してくれるそうだ。楽しみ。

ケバブ

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夕食は、ケバブ。羊の挽肉に数種類のスパイスとたまねぎを入れ、よくこねてオーブンで焼いたもの。トマトやズッキーニも一緒に入れます。

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ケバブは、こんなふうに耐熱皿に肉を敷き詰め、表面にもう一度、ざくろの粉をつけてから焼く。このスパイスは挽肉との相性がぴったり、さっぱりとした酸味が後をひく。

にんじんジュース

今の季節、にんじんが旬です。たくさん買って毎日ジュースにして飲むとおいしい。特に目の悪い人、目を使い過ぎの人は、自分でジュースにするとよいです。

にんじんジュースの作り方

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(1)前の晩に、洗ってきれいにしたにんじんを水に浸し、冷蔵庫に保管する。

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(2)翌朝、ジューサーでにんじんを絞る。

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(3)絞りたてをすぐに飲む。残ったら冷蔵庫へ保管する。残りのジュースも当日中に飲むのがベストです。

普段はスーパーで1kg 約120円のにんじんが、最近は特売で1kg 約60円で売っています。レジで5kg 抱えているのはわたしたちくらいでしたが。
さあ、見てばかりいないで、めんどくさがらないで、自分でやってみましょーう!

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