2008-08

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東へ砂漠へ

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青いどんぐりの実がたくさんなっている。どの木も少しずつ秋の支度をしているようだ。葉がカシワに似たこの木は、英語で oak tree という。オークという木の名前は日本でもよく聞くが、日本語では樫の木またはヨーロッパナラと呼ぶらしい。木も大きいけれど、どんぐりも大きい。

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さて、9月からイエテボリを離れることになったので、「砂漠人」の更新をしばらく休みます。再開は12月の予定です。年末にはどうぞ思い出して、また読んでください。
なお行き先は母国、日本です。砂漠人はその間、砂漠へ戻る予定。

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モノを大切に

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テニス遊びが日課になった。初日、弾まないボールで遊びにならなかったものの、2日目には本物のテニスボール1個を家の中から奇跡的に探し出して問題が解決した。なんでも安易に買いに走らないのが砂漠人のいいところであり、短所でもある(大概は長所だと思っているけれど)。
ボールが見つかってから2回目の今日もいそいそと出かけようと思ったら、今度はラケットの柄の部分にトラブル発生。巻いてあったテープが剥がれてしまっている。だいたい、このラケットもおもちゃみたいなものなのだ。わたしだったら新しいのを買って、これは捨ててしまうかもしれない。
砂漠人はもちろん直す。一瞬の迷いもなく、「はさみ持ってこい」「ビニール袋持ってこい」「テープ持ってこい」と指示が飛び、ものの3分で仕事をし終えた。

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こういう仕事にいたく心を打たれるお嬢育ちの kumoki だった。

きなこ白玉

毎晩、砂漠人が仕事に出かける前にお茶を飲むことになっている。
お茶の友は果物、ピスタチオ、アイスクリームが定番だけれど、今日は先日日本から遊びにきてくれた友人のおみやげ、白玉粉ときなこと黒蜜を使って和風にきめてみた。

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砂漠人もこういうのは大好きなのだ。これが缶詰のみつ豆だったら説教が始まりそうだけれど、粉から作ったので文句はないはず。しかも上質な(オーガニックと書いてある!)白玉粉ときなこだったので、食べてしまうのがもったいないくらいだった。
食事の量と比べて、お菓子の量がとても少ないことに気づいた人もいるかもしれない。これが砂漠流なのだ。

夏の終わり

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今日は初めてテニスをすることになった。いつも歩いている森を抜けると、テニスコートとサッカーグラウンドがある。誰でも自由に使えるのだそうだ。ところがこれほどの快晴だというのにコートには誰もいない。思う存分楽しめると思っていたら、昨日スーパーで買った安物のボールがひどい品物で、いくら叩きつけても20センチくらいしか弾まないのだ。まったくテニスにならずにお互いのボール拾いで終わってしまう。
それでも帰り道にたくさんの野花を摘んで、用意してあった夕食はベランダでとり、彩りあふれる砂漠人的一日を過ごすことができた。あとほんの少しで、夏は終わりそう。

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保存食

あいかわらず週末は、ジャムやシロップ漬けを作っている。今日はネクタリンのシロップ漬けをひと瓶だけ。シロップ漬けにする果物は若くてかための方がいいそうなのだが、市場で買ってくる果物はすべて完熟のものなのだ。樹で熟してから収穫したものは、家で食べる頃にはかなり熟している。でもそういう果物はスーパーの果物とは比べものにならないくらい、味がある。

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フタの絵柄がシャレている。ジャム用のガラス瓶はピクルスやマスタードなどの空き瓶を利用しているのだが、家にたくさんあった空き瓶がそろそろなくなってきた。大きい瓶は消毒するのが大変だし、小さい瓶は少ししか入らないので足りないし、うまい方法はないかなあと話していたら、砂漠人がソ連時代の保存食の話をしだした。
ソ連時代のトルクメニスタンではコルホーズ(集団農場)が営まれ、人々は家にたくさんの保存食を置いていたそうだ。3リットルのガラス瓶が1種類しかなかったそうだが、あらゆる種類の野菜や果物を、それに詰めてうまく保存していたのだそうだ。青果が育たない冬はそういった食品からミネラル類をとっていたとのこと。大きな釜のようなところに湯を沸かし、瓶をたくさん入れて消毒し、調理した青果を詰めたら新しいフタをキュッと自動的に閉める機械があったのだとか。まさに、家内制手工業のイメージだ。色とりどりのガラス瓶が並んでいる食料庫は、わくわくする場所だったに違いない。

手編み

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編みものは小学校のときにしたことがあるけれど、あまりに昔のことで、棒で編んだのか、かぎで編んだのかすら覚えていないくらい。教わる人がいないので、今回は本を買って最初から覚えなければならない。もちろん、「はじめてのマフラー」から。
編みものをしたい理由はいろいろあるけれど、ひとつには、砂漠で飼っている羊の毛をいずれ有効活用したいと考えているからだ。飼っている羊は食用だが、毛は生えているので毛糸がとれる。羊から刈った毛は洗って、漉いて、紡いで、毛糸にする。この行程もいつかは自分でやってみたいと思っている。
もうひとつ大きな理由は、自分の着る服をいずれは自分で作れるようになりたいと思うから。トルクメンの女性は、家の中ではワンピースにカーディガンを羽織っている。せめて、ワンピースとカーディガンは自分の好みのものが着られるよう、今から練習しておきたいのだ。沙漠人の故郷の村クミシュテペには洋服を売る店などないし、市場で見ても買いたいと思うデザインが見当たらない。わたしは決しておしゃれに関心がある方ではないけれど、気に入らない服を着るほどいやなことはない。
夢ばかりを膨らませながら、ひたすら同じ編み方でマフラーを仕上げた。4日間で編み上がったけれどやたらに根を詰めてしまい、ロバのスピードの話はどこへやら。

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(モデル:kumoki )

なかぐろや

イエテボリに来る前、わたしは美術大学に勤めていたので、友人には自然とアーティストやデザイナーが多い。紹介するブログの筆者もその一人だが、つい最近まで彼女がどんな活動をしているか知らなかった。書かれている記事は日々の創作にまつわるものが多いけれど、身のまわりのものをていねいに手作りしているのでとても興味深い。

なかぐろや:http://nakaguroya.blog17.fc2.com/

衣服や家具など、買わずに自分で作りたいと思うものはたくさんあるのに、考えているだけで実行した試しがない。ぜひ、来年の目標にしよう!

オオカミ現わる

砂漠人の故郷の村、クミシュテペにオオカミの群れが現われてから久しい。
群れには6匹いたそうな。どこからやってきたのか分からないが、民家の牛や羊が被害にあったそうだ。砂漠から村に帰る途中、村の入口あたりの家で飼っているラクダを見せてもらったことがあるのだが、被害にあったのはその周辺の民家だったらしい。今のところ1匹が銃で殺され、もう1匹が犬によって殺されたそうだ。なんと、35匹もの犬を放して狼を襲わせたとか。さすがの狼も35対1では適わなかったかのか。
残るはあと4匹。どんな結末が待っているんだろう。

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留守宅を守っている番犬、名前はアウチ。わたしには「おうち」と聞こえてしょうがない。トルクメン語でハンターという意味なのだが、人懐っこすぎてまったく凄みのない性格なのだ。パンを投げてやっても食べずに喜んでいるだけ。4匹の狼、どうかうちには来ないでちょうだい。

人間とロバ・その3

人間とロバの話はおそらく砂漠人の創作だが、絵本が描けそうなおもしろい話だと思った。よくよく聞いてみると、砂漠人は自分の実体験からそのような寓話を思いついたようだ。
砂漠人がこどもの頃、彼の村には自動車などなく、みんなロバを足代わりに暮らしていた。人々はロバに乗って旅をしたり、ロバに荷車を引かせて荷物を運んだり、のんびりとしたロバの速度が生活によく調和していたそうだ。自然とともに時間がゆっくりと流れ、紙幣やコインなどのお金を持っている人もほとんどいなかったらしい。
ところがやはり、そんな村にも近代化とともに自動車を持つ人が増えてきて、効率が優先されるためにロバの荷車はどんどん減っていってしまった。そしてついに、ある一人のおじいさんが、ロバの荷車で運送をするだけになった。このおじいさんはその生涯をずっと、ロバの荷車で生計を立ててきたのだった。
おじいさんもロバも歳をとったが、あいかわらず共に生きていた。そんなある日、おじいさんが暗い夜道をロバの荷車を引いていたところ、猛スピードで走ってきた自動車が彼らを轢き、おじいさんもロバも死んでしまったのだそうだ。そしてそれ以来、この村でロバの荷車を見かけることはなくなってしまった。

ロバに乗り、自然と調和して生きていた頃は、人間のもつスピード感もゆっくりしたものだったけれど、自動車が生産され、アスファルトの道路が敷かれ、移動手段のスピードが徐々に増すことによって、人間が感じるリズムもどんどん速められてしまったと砂漠人は言う。具体的な例はいくらでもあるだろうが、たとえば砂漠人の日常生活でいえば、毎月送られてくる数々の請求書を支払うために、時間に終われて仕事に出かけなければならない。本来なら家族とともに過ごすべき大事な食事やお茶の時間を無理に切り上げて、お金を稼ぎにいかなければならない。そうやって、お金のためにどんどん速められる不要なスピードに追いついて生きていかなければならない現代生活に対する砂漠人の批判が、そういった性質をもつ現代人の典型としての日本人に重なったのだろう。そう考えたらわたしの中に見出された日本人的性質の話も合点がいったし、自然と調和して生きることや人間のもつスピード感の変遷の話からは深い教訓を得たように思えた。おしまい!

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↑羊のオーナーはふつう、ユルタに泊まったりロバに乗ったりしないそうだ。けれど砂漠人は、羊飼いの砂漠生活がいかに質の高いものかを知っている。

人間とロバ・その2

その昔、人間とロバはなかよしだった。ロバは人間や荷物を乗せてゆっくり、しかし確実に歩みを重ねた。強い風が吹いても倒れず、風が軽いときはそよ風を感じられるほどにのんびりと歩き、いつも自然のリズムと一体となって、人間に楽しい旅をさせてくれていた。
ところが世の中が工業化されて、自動車という機械が発達すると、人間はロバを捨てて、より速く、より多くの荷物を運ぶことができる自動車に乗り換えた。それまで長いあいだ人間とともに仕事をしてきたロバは、そうしてお金やスピードを優先させた人間に対して、尊敬の念を失ってしまった。それ以来、人間とロバの関係はギクシャクしている。ロバはもう、人間のためにただでは働かない。だから羊飼いは、ムチでロバの尻を強く打いて走らせるしかないのだ。

…こんな話を砂漠人があらためてしてくれたので、自分のロバに乗ったときの行為の意味がようやく理解できたのだった。頭のいいロバは、もはや人間を尊敬していない。ましてや、お金や効率を優先して猛スピードで発展してきた国、日本から来た人間が自分に乗ってちょっと尻をピシピシやったところで、簡単には走ってやらないよ。そんな感じだろうか。

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↑砂漠人が雇っている羊飼い、通称シェンミ。数百頭の羊を一人で面倒見ている。

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↑この乗り方で、ロバはかなりの速度で走っているのだから、シェンミのバランス感覚は尋常ではない。ただ最近、シェンミはオートバイから落ちて鼻の骨を折ってしまったらしいけど…。

人間とロバ・その1

あるとき、日本人的性質について砂漠人と話していたら、彼はわたしが砂漠でロバに乗ったときにそれを見たという。

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これは羊飼いが羊を追ったり町に出るときに使うロバだが、空いている時間に乗る練習をさせてもらった。もちろんわたしがロバに乗るのは初めてで、見よう見まねでロバを走らせようとしていたのだけれど、その練習風景が日本人ぽかったと砂漠人はいうのだ。わたしはつねにロバのスピードを上げることにとらわれていて、のんびりその雰囲気を楽しむとか、そういう余裕がなかったらしい。要するに、ロバとのコミュニケーションがなっていない、周りの自然とのコミュニケーションがとれていない、その象徴だと言うのだった。砂漠人がそれを見てがっかりしたというのをスウェーデンに戻ってきてから聞いて、わたしはその数倍、がっかりしてしまった。羊飼いのようにうまく乗りたいと思ってひたすらロバにむち打ったり、それにもかかわらず一向に走らないロバに疲れていたのに、その一連の行為を沙漠人にダメ出しされてしまったのだから。
それ以来、ふてくされてロバの話はしたくないと思ったり、もうロバには乗るまいと思ったりしていたのだが、最近ほとぼりが冷めてブログに記事を書こうと思い、あらためてこの話を聞き出したところ、さらに詳しい話が飛び出して、砂漠人が意味していた日本人的性質の内容が、以前より深く理解することができたのだった。なかなかおもしろい話なので、つづく。

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↑砂漠に住む羊飼いのお隣さんたち。

シーフード

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「魚介祭り!」といったような夕食。思えば、砂漠人と暮らすようになってから、魚を食べる機会はうんと減った。でも意外なことに、日本の食事が恋しいと思うことはほとんどなく、むしろ、砂漠人の食卓を離れて日本に帰国するのが憂鬱なくらいなのだ。毎日、家でご飯を作って食べることに慣れてくると、外食をするのが怖くなってくる。それは、出された料理に使っている食材がどんなものかが分からないという不安からくるのだと思う。
さて、スウェーデンでは夏にザリガニ・パーティをするそうだ。冷凍ものならスーパーでも買うことができる。ザリガニにはディルを添えるのが常識のようだけれど、うちはスウェーデンの文化にほとんどなじみがないので、いつもどおり砂漠流に。

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砂漠人はスモークサーモンの質の高さを絶賛していたけれど、わたしはサーモンよりもムール貝に夢中なのだ。場合によっては、鍋ごと全部食べる自信すらある。信じられない人もいるかもしれないが、この日も食卓のお皿はすべて二人で空っぽにした(ただの大食いと思ったらいけません)。

ハーブを洗う

ハーブなどの草をきれいにする方法は、砂漠人に教わるまで知らなかった。バシャバシャ洗えばいいかといえば、そうでもないようなのだ。

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↑一本一本、ていねいに処理するのがコツ。痛んだ部分をとり除く。

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↑まずは根から少し上の部分を切って、茎の根元につまっている泥などをあらわにする。

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↑根元を切った茎を水の中でふり洗いする。そのときも、痛んだ葉などをとり除く。2~3回、水を換えてよく洗う。

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水気を十分に切って、準備OK。

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新聞紙に包んだり布の袋に入れて水分を保ち、冷蔵庫に保管する。こうしておけば長持ちしやすいし、使うときに取り出すだけなのでラクチンだ。

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トルクメンの家庭では生のハーブや野菜がよく食卓に登る。それを羊肉などの煮込みや炊き込みご飯の箸休めに食べると、さっぱりしてよく合う。これはビタミンを摂るための知恵でもあるんだろう。

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イランでも、市場でたくさん買ってきた野菜はその日のうちに泥を落とし、洗ってきれいにしていた。日中、処理しきれなかった分を夕食の後にみんなで作業する。とても和む風景に見えるけれど、実際はこどもがめちゃくちゃな作業をしたり、母親がそれを叱らないのを見て、わたしはイライラ。でも後になって、おばあちゃんから赤ちゃんまで一緒になってやるこの日々の共同作業が大事なんだろうなあと思った。ハーブが完璧に仕上がらなくても、この風景がすべて家族の体験として共有されていくんだろう。そしてわたしの中には、「効率を優先させる」考え方が深く染み込んでいることに気づく。それでイライラしているんじゃ、よくないな。

シナモンプラムジャム

プラムは皮が酸っぱいので、どうも敬遠しがちな果物だ。しかも「酸っぱい!」というたびに砂漠人が「ビタミンがいっぱい。」と真顔で迫ってくる。ところが今回のプラムは熟れていて、ものすごくあまいものだったので、生でたくさん食べられる。
もちろんプラムは箱買いしたので、さっそくジャムを作ることにした。今回はめずらしいシナモンを入れるレシピを習ってみた。

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手順はプラムを煮てから裏ごしするのではなく、皮をむいて粗く刻んでおくそうだ。むいてみたら、果肉の彩りがあまりに美しいのに驚いた。ジャムもきれいな赤色にしたかったので、途中まで果皮を一緒に煮込んでみる。もしかしたら、濃い赤色のプラムの果皮は布がよく染まるかもしれない。

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あくも丁寧にすくって慎重に。

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できあがり。夜9時過ぎの光にしてはよく撮れました。味と香りを届けられないのが残念。

デュデェメ

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カスピ海で獲れる、体重が10kgもある魚を使った料理、デュシェメ。最後の一切れを今日、食べてしまった。この料理が初めてお皿に盛られたのを見たとき、(残飯みたいだなあ…)と心の中で思ったものだ。でもじつは、デュシェメは日本人好みの一品なのだ。
歯ごたえのある肉厚の魚は塩こしょうし、フライパンでよく焼く。じゃがいも、タマネギ、にんにく、唐辛子の刻んだものを加えてさらに炒める。カシスやレーズンも少し入れる。材料をよく炒めたら、ゆでたライスを周りに敷き詰め、フタをして水気を切りながら、すばらく蒸す。
できあがったらライスを開きながら、皿に盛りつける。

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バルコン

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イランに建てている新居の写真。外観が日本の家とまったく違うので驚くかもしれないが、もっと驚くべきは、部屋の間取りはわたしが2~3時間で考えたものだということ。2年くらい前だったか、まだ東京で働いていた頃、「間取りを決めろ」と言われるがままに、イラストレータという作図ソフトを使って夕食後にタタタと描いた。わたしには建築の知識など一切ないし、ましてや住みたい間取りをゼロから考えたことなどなかったので、まるで思いついたままのお絵描き。そうやって仕上げたのは平面図だけだったが、今もその図をもとに大工たちが作業を進めているそうだ。窓枠の空き具合に少し不安を覚える。窓の数も違うし。
地上階は倉庫なので、居住スペースはレンガの壁の2階部分と、写真では柱だけが建っている3階部分。今はこの3階が形づくられて、ここで寝られるくらいになっているそうな。砂漠人はこの部分を「バルコン」と呼んでいる。このフロアは屋根は半分くらいにして開放的なバルコニーにしたかったのだが、設計図を作らなかったばかりにいつのまにか柱がしっかり建てられていた。この後、一体どんなバルコニーになったんだろう? 2階の間取りはほとんど失敗だったことに既に気づいているが、ここに住んでも多くの時間は庭とバルコンで過ごすことになると思うので、あまり気にしていない。

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バルコンからは、西側にカスピ海が見える。この土地は村の外れにあるので、今のところ家から海までのあいだには広大な空き地が広がっている。

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↑カスピ海側から村を撮った写真。右の方に西日が白く反射している家が見えるだろうか。周りにくらべるとバルコンが際立つ家になる予定。砂漠人は、潮風に吹かれながら眠ることができるこのバルコンに強い思い入れがあるのだ。

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家の南側には海につづく水路があって、そのずっと向こうには山も見える。テヘランからは、あの山脈を超えて来る。

ベランダ・カフェ

季節はすでに肌寒い。けれど厚着をしてまだまだ楽しみたい、ベランダでカフェ。今日は郵便局まで歩く途中で砂漠人が摘んでくれた野花をテーブルに置いてみた。野花と思いきや、花壇に植えてある樹から花をちぎったりしていて苦笑したけれど。
こういうのはけっこう、女子の憧れなのだ。

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谷崎潤一郎の『痴人の愛』を2日で読み切った。いやー、野花で喜んでいる女子はなんて清らかなんだろう。

コリアンダーの保存方法

先日、コリアンダーオイルを作った後に思いついたもっといい方法というのは、同じくオリーブオイル漬けなんだけれども、コリアンダーとにんにくをみじん切りにせず、そのままオイルに浸ける方法。
まずはコリアンダーをよく洗い、根を切り、水気を取る。にんにくも皮を剥いてきれいにする。それらをガラス瓶に入れて、オリーブオイルを上からかける。できあがり。

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この方が簡単で、用途も広がるじゃないか!

追記:
さらにこの後、コリアンダーはソースを作って冷凍保存しておくのが一番いい方法だという結論に至りました。

気球

フラットのベランダは東向きなので、天気がいい日の朝は光が差し込み、午後には直射日光が当たらなくなる。そうはいっても白夜のため、イエテボリはこの時期、夜10時くらいまでは明るい。だから夕方から暗くなるまでのベランダでは、明るくて涼しい最高の時間を過ごすことができる。しかもこの時間帯はちょうど、夜中に仕事に出かける砂漠人のおやすみタイムなのだ。自由な時間を少しでも多く過ごすために、砂漠人をすばやく寝かしつける方法を日々考案中。

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そんなある夕方、空の彼方に突然、気球が現われた。最初に見たときはたしかに2つ飛んでいたのだが、カメラを取りにいっている間に1つは下りてしまったようだ。

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カメラの望遠レンズで覗いてみたら、気球には人が4人くらい乗っているように見えた。気持ちよさそうだ! でもわたしは怖くて乗る気になれないな。

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いつから飛んでいたのか分からないけれど、わたしが気球に気づいてからものの数分で見えなくなってしまった。後で砂漠人に聞いたところ、イエテボリには気球のクラブがあるのだとか。所変われば趣味もいろいろだ。

アプリコットケーキ

よく熟れた果物にはあまいというだけはない、様々な味わいが含まれている。果物を食べる上で大事なことは、味だけではなくてビタミン、ミネラル、繊維を摂るということだ。だから果物はやはり、旬に生のまま食べるのがベストなんだろう。

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それでも余ったときの保存方法を考えるのは、楽しみのひとつになっている。これは裏ごしせずに粒のまま作ったアンズジャムを、たっぷりケーキに練り込んだもの。生地には砂糖を使わなかったので、ソースをかけたりアイスクリームを添えたりして雰囲気を変えてみる。
しばらくはアンズジャムの活用法に悩まされそうだ。

今週の買い出し

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先週は天気がよかったので、青果の味に期待も膨らむ。
市場での買い出しは基本的に沙漠人が品物を見定め、わたしがお金を払う。そしてせっせと駐車場へ運ぶのも、わたしの役目(だから太れない)。
箱入りの果物は、いつも砂漠人が売り手と直接交渉して買っている。たくさん買うことで、値段を下げてもらうのだ。それにしても今日のアンズの量は限界を超えていた。いくらなんでもこれはさばき切れないよ! という焦りと体調が悪かったこともあって、台所では険悪ムードの作業となってしまった。砂漠人が下処理をし、わたしが煮込んだジャムとコンポートの嵐。しかも、すべて作った後にもっといい保存方法をインターネットで見つけた…。アンズのシロップ漬け。後の祭り。こういう日もある。

明日への希望

今年の冬、初めてイランに行ってきた。砂漠人の故郷はイランとはいえ、トルクメニスタンとの国境近くでトルクメン人だけが住む村なので、砂漠人は「トルクメニスタンでは…」と言いながらその地域を指していることがよくある。
村では常に親戚や友人の家に招かれ、食事をしたり遊びに出かけたりして、そういった日常の生活に触れて思ったことは、ひとことで言って、時代を遡る体験をしたような気持ちになったということだ。
たとえば砂漠人の弟家族とピクニックに行ったときのこと。弟が持つ小さな自動車で、電信柱しか見当たらない広い砂漠地帯をドライブした。村の小さな菓子屋でピスタチオやドライフルーツを買って車の中で食べたのだけれど、みな食べた端から窓の外に殻やらゴミやらを投げ捨てていた。あらゆる資源のリサイクルにすっかり慣れてしまっているわたしは、みんながポイポイ捨てる度に気が気じゃなかった。でも彼らはおかまいなし。とても楽しそうに食べたり話したりしている。
目的地の山に着いたら車は適当に停めて、家から持って来たガスコンロやらカーペットやらを運び出し、落ち着く場所を決めて、薪を拾いに行く。その辺の枝を折ったり枯れ枝を拾ったりして、さっそく火を起す。なんの打ち合わせもなしに砂漠人と弟は淡々と作業していた。一方、弟の奥さんは料理の準備に取りかかっている。米が洗ってあったり、ゴルメがある程度煮込んであったり、どうやら下ごしらえは完璧のようだ。そのあいだ、わたしは焚き火やみんなの作業を眺めながら、とても温かく、いい気分を味わった。

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ピクニックに来ている周りの人たちも、みな自前のコンロと鍋で煮炊きしていて、面倒だろうにと思うけれど、コンビニなどないからそれが当たり前のようだった。
イランは食料自給率が100%を超え、村には飢えるような生活をしている人はいなかったが、それでも村の家にはレンガと泥で作ったようなものもまだあったし、扉や窓が壊れていたり、水回りの設備がまずかったり、インフラは先進国に比べると整備されていない。自動車もみなが持っているわけではなく、デコボコの道をボロボロの車で走るといった感じ。

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ピクニックの帰りの車で、ふと、「もしかしたら父や母が若かった頃は、こういう気持ちで生きていたのかもしれない」と思った。どういう気持ちかというと、国のインフラは完璧に整っていないし、簡単に出先で食事が手に入るような便利さもないけれど、そんなことは気にならず、明日はもっとよくなるのだという希望を胸に、今日という時間を楽しく過ごす…そんな気持ちだ。
環境問題がどうだとか、あらゆる不安や精神的束縛が、今を生きる若者よりだいぶ少なかったのは、やはりそれを上回る希望を持てたからなんだろう。将来に対する希望、生きる希望というのを、今の若者(に限らず)はどう見出しているだろうか。希望はないけれど、ともかく日々を生きるのが精一杯…じゃないことを祈る。

『民俗学の旅』その2

宮本が旅路において考えつづけたひとつは、「進歩とは、発展とは何だろうか」ということだと書いている。本当にすべてが進歩しているのだろうか、進歩を妄信するあまりに退歩しているものさえも進歩と誤解していないだろうか。また、そういう態度が人間だけでなく生き物すべてを絶滅に向かわせていないだろうか、と。

(前略)多くの人が忘れ去ろうとしていることをもう一度掘りおこしてみたいのは、あるいはその中に重要な価値や意味が含まれておりはしないかと思うからである。しかもなお古いことを持ちこたえているのは主流を闊歩している人たちではなく、片隅で押しながされながら生活を守っている人たちに多い。

以上、原文のとおり。
日本においては戦後、大都市だけに人口や産業が集中し、そこで暮らす人々は「便利」で「豊か」にイメージされる生活を送ってきたように思うけれど、人間としてまた生き物としてそれが進歩した生き方だったかどうかは甚だ怪しいということだろう。
進歩といえば、すぐに科学技術の進歩が思い浮かぶが、わたし自身も生まれたときから身の回りの処理はあらゆる電化製品によってやってきたし、パソコンやインターネットが使えるようになってからは、それが仕事に生かされて、自分の生活も向上したような気がしていた。が、よくよく人間としての自分の中身を分析してみれば、朝起きられないほどに体力が落ちていたり、毎日の食事が作れないほど気力も萎えていたり。それこそ退歩の見本のようなものだと思う。科学技術的な進歩というのは、ほんの一面的なことであって、それがありつつも人類として総合的にどう進歩したかというのは別の問題なのだろう。
砂漠人も、宮本常一が歩いた20世紀の日本の農民のように、あるいはそれ以上に貧しい環境で子供時代を過ごしてきた。ただし、貧しいというのは「お金がない」という意味であって、自然環境や生活の内容は厳しくも豊かなものだったはずだ。そしてそういう貧しさの中に育った経験が、人生を切り開く上で一番の力になったと言っている。
お金をうんと稼いで豊かになったはずの日本に生まれ育ったわたし自身は、いまだに人生の切り開き方も分からず、人間としての生き方の見本を探ろうと砂漠の発展途上国へと向かっている。そこでは、東京においては変わりすぎてしまった人間生活の根源につながるものが、今でも営まれているからだ。砂漠人の育った村での生活では、自分が生まれる前の日本の情景を見るような思いを何度もした。そしてそれは、宮本常一が歩いて調べた20世紀の日本人の生活と同質のものだと直観する。

『民俗学の旅』その1

宮本常一の『民俗学の旅』(講談社学術文庫)を読んだ。なぜ宮本常一の本を読もうと思ったかというと、ある本で、宮本が戦前から高度成長期までの間、日本中をくまなく歩いて民衆の生活を調査した人だと知ったからだ。
砂漠人と話をしていると、自分が日本について、ここ20~30年くらいの状況しか知らないのだということを思い知らされる。説明しようと思っても出てくるのはありきたりの日本史論。日本は昔こうだったとか色々言ってみるものの、それはすべて学校で習ったり本で読んだりした内容で、自分の体験に結びつくものがなにもない。そしてすぐに沙漠人に、それが日本の現像ではないことを論破されてしまう。
そこで、20世紀という時代に日本の民家を訪ねて、人々から話を聞いて回った宮本の話の内容を知りたいと思ったのだ。そこから現代の日本人の生活というものを少しでも再認識できるのではないかと期待した。
『民俗学の旅』は、宮本の自伝的な著作だ。山口県の周防大島に農家の息子として生まれ育った宮本が、どのようにして日本中の民衆の生活を調査し、どんなことを考えたかが時間軸に沿って書かれている。その数十年のあいだには太平洋戦争もあった。戦時中に宮本が考えた戦後の日本像は、深くうなづいてしまう内容だ。軍備を持たない国家として成り立っていくためには、日本人としてなにをしなければならないか。

(前略)ただ戦争反対、軍備反対と叫んだだけで戦争はなくなるものではない。一人一人がそれぞれの立場で平和のためになさねばならぬことをなし、お互いがどこへいってもはっきりと自分の是とすることを主張し、話しあえるような自主性を持つことであり、周囲の国々の駆け引きに下手にまきこまれないようにすることであろう。そしてそれを農民の立場から主張してゆくには、食料の自給をはかることではないかと考えた。食料を自給し得ている国は外国の干渉を排除することができる、それは今日までの歴史を見ればおのずから肯定できる。農民としてなさねばならぬことは、より高い生産をあげ、まず国民の食料を確保するように努力すること。次には国民の一人一人が安定した生活ができるような道を見つけていくことだと考えた。

以上、原文のとおり。宮本はこの本をいつ書いたのだろうか。少なくとも30年以上前だ。当時の食料自給率は37%、今もほとんど変わらない。つづく。

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