2009-08

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きのこ

ベリーに続いて、今度はきのこの季節だ。森にはたくさんの種類のきのこが生え、雨の降った翌日は多くの人がキノコ狩りに出ている。
砂漠人は、きのこに関してはその見分け方を知らないようだ。もちろんわたしもキノコ狩りなどしたことがなく分からないので、残念ながらそれを味わうことができない。スウェーデンでは kantarell というきのこが美味しくて、よく採られるそうだ。この季節になると市場やスーパーでも売っている。また新聞や雑誌にもこのきのこの写真入りで記事が載るので、秋の代表的な味覚なのだろう。
今日は雨の中、一人で獣道を分け入って kantarell を探してみたけれど、ひとつも見ることができなかった。途中で会ったおじさんは袋の中にいくらかの kantarell を持っていたのにな…。

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おそらく、わたしが見かけたきのこはすべて食べられない種類だろう。おじさんのアドバイスどおり、いずれはきのこの本を読んでみようと思う。

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ストールを作る

スウェーデンの天気はとてもつかみにくく、不安定だ。朝、よく晴れていても気温が低かったり、肌寒いかと思ってコートを着ていけば、午後はまぶしいほどに照ったりする。わたしはまだ慣れることができず、とんちんかんな服装をしてしまうことがしばしばある。今の時期、街には半袖の人から冬用の上着を着ている人まで幅広くいるけれど、夏のあいだはどうやら半袖の上に春・秋用のコートを着ていれば間違いないようだ。

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襟元が寒いときのために、ストール(ショール)を作ってみた。作ったといっても、生地を買い、両縁の処理をして、フリンジをつけるだけの簡単なものだ。こんなに手軽にできるのだから、買わずに自分で作ってみるのがいいと思う。
作り方は、生地を好きな大きさに断って長い方の端をほつれないように縫い、フリンジをつける短い方の両端は、好みの長さまで横糸を一本ずつ抜いていく。

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横糸を抜いたら、縦糸を少しずつ束ねて結んでいく。これでできあがり。わたしは170×50cmの大きさで、端は切りっぱなしにした(ただし、大きくほつれないように並縫いで止めておく)。フリンジの長さは 9cmにして、1.5cm間隔で結んだ。

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ストールをアップで撮ってと頼んだのに、フリンジ部分が切れています、、、

在外選挙

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ブロマガって何?

ブルーベリージャム

先日、いつもの森で思いがけず若い日本人女性に出会った。彼女は旅行でスウェーデンに長期滞在しているとのことで、その日は森のブルーベリーやブラックベリーを摘んでいたようだ。一人で森で過ごしていたけれど、とても柔和な顔をしていて楽しそうだった。クラスメイトも今週末はブラックベリーを摘んでジャムを作ると言っていた。
それで思い出したのだが、うちの冷凍庫には以前に摘んだブルーベリーがいくらか残っていたはずだ。森から持ち帰ってそのまま冷凍したものなので、さっと洗ってからジャムに使うことにした。

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IKEAで買ったサラダスピナーが大活躍

ジャムを作る際、最近は砂糖の量を果物の15%程度で試している。使う果物は完熟のものがほとんどなので、それでも甘み十分に仕上がっている。作り方は、果物を洗い、砂糖とレモン汁をまぶして一晩置いておき、翌日に鍋でグツグツ煮る。柔らかくなったところでベリーをつぶせば、さらにドロッとした状態になる。ジャムは瓶詰めにしてもいいけれど、小さなプラスティック容器に少量ずつ入れて、冷凍してもいい。少しずつ解凍して食べれば、毎日違う種類のジャムをつねに新鮮な状態で楽しめるというわけだ。少しといっても、砂漠人の場合はスプーン1杯というわけではないが… 小皿に一杯くらいだろうか。

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この夏最後のブルーベリージャムを明日、煮ることにしよう。

刺身?

空気のいいベランダで朝食をとると気分がいいものだが、最近は気候がだいぶ肌寒くなってしまった。ゲストがヘルシンキからおいしそうな食材を運んでくれたので、さっそく朝の食卓に並べて味わった。

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なんと、スモークサーモンをわさび醤油で食べると、お刺身を食べているような感覚が味わえた! 今度また、日本のお米を炊いてやってみよう(もちろん自分一人のときに)。

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おもてなし

おもてなしといっても、いつもどおりの食卓を用意するのが砂漠流だ。季節の野菜と果物を中心に、ハーブや自家製ヨーグルトを添える。
今回は台所のオーブンでグリルをした。野菜を洗ったり切ったり、お客さんも一緒に作業してもらう。これだけたくさんの野菜を扱うことは、少人数の家庭ではほとんどないはずだが、これは案外たのしい作業なのだ。

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これが砂漠人とkumokiの日常風景です

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IKEA

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日本にも IKEAが出店したことで、スウェーデンはより身近な国になったのだろうか。スウェーデンは森と湖が多くあって、シンプル・カラフルなデザインの国…と思っている人は多いかもしれない。たしかにスウェーデンでは学校でも病院でも、そのインテリアには IKEAで売っているような木製の家具や明るい色調のカーテンが使われているし、全体的にすっきりとした自宅のような空間が造られている。色々なモノをゴチャゴチャ置かないというのが、日本との決定的な違いだろう。かわいらしいけれど、キャラクターものなどは縁のない、大人のセンスだと思う。こういうところに、社会の成熟度が出ているような気がしている。

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kumoki はソフトクリームもまじめに食べます

ゲスト

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ゲストのイチゴちゃん(仮名)と砂漠人

この夏最後のお客さんを迎えて、送った。
今回のゲストは、わたしが美大の助手になって初めて接した学生の一人だ。それはもう十年前の話で、その後彼女自身が同じ研究室の助手となり、助手の任期を終えた今は大学の事務方として勤めている。彼女に「十年前の kumoki からは今の kumoki の生活は想像できなかった」と言われてあらためて、それだけの時間が流れたことを思い返した。
学生時代の彼女は、今と変わらずすらりとした美人で、いつも瞳がきらきらしている人だった。生き物に大きな関心を持っているという印象もある。だからスウェーデンでのナチュラルライフもきっと楽しむだろうと予想していたのだ。そして彼女は、お母さんをフィンランド旅行に招待したという驚くべき親孝行者だ。その旅の途中でヨーテボリに寄ってくれることになっていたので、砂漠人もわたしも夏前から首を長くして待っていたのだが、ここにきてようやく実現したのだった。

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スウェーデン土産

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容器のかたちがめずらしい、Bliw というスウェーデンの液体石けん。ちょうど手のひらに乗るくらいの大きさで、容器は柔らかいので押すと石けんが出てくる。わたし自身、旅行帰りの友人からお土産としてもらったことがあるのだが、これはスウェーデン土産にぴったりだと思う。
インターネットで調べてみると、日本でも北欧の雑貨を扱う店で販売しているようだ。ところがその価格はなんと1個945円。スウェーデンのスーパーではその1/5の値段で売っているものです。アホかー

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この石けんが2個入る、まるい巾着袋を縫ってみた。千葉の実家でいつもお世話になっているお隣さんへのお土産です。

ピザ

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最後の晩餐は、ピザだった。
毎日「食べ過ぎだ~」「苦しい~」を連発しているわりに、二人とも今日のピザは一枚以上をペロッと平らげていた。もちろん、この野菜たっぷりの焼きたてピザを拒める人はいないのだ。わたしも毎朝、半分を食べて学校に通っているけれど、飽きることがない。ひとつ心配なのは、クラスで「にんにく」というあだ名をつけられていないかどうかということだが…。

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史上最高の20枚を焼き上げて、砂漠人は精根尽き果ててしまったようだ。

ビルベリー

両親が日本へ帰ることになった。あっという間に二週間が過ぎ、気がつけば二ヶ月の夏休みも終わり、語学学校が始まってしまった。季節はいよいよ夏から秋へと移る。
明日帰るというのに、両親はまた森へビルベリー摘みに出かけた。戻ってくるなり、プラスティック容器のふたを開けて並べる父。自分の方が大きい粒をたくさん採ってきたと得意げに報告している。たしかに、実力の差は歴然としていたが。

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これをジャムにしてお土産に持たせた親孝行な kumoki です。

両親とグリル

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晴天ときたら、うちではグリルです。両親が来てから二度目のグリルなので、朝のうち父は「またやるのか!」と言っていました。ところが始める段になると、まだ誰も外に出ていないというのに、一人で薪を集めるほど意欲的に動き出しました。ひとしきり薪が集まると、そよ風の吹く木陰で涼むほどの余裕も見せるほど。一方、母はグリル広場のベンチに座って、焚付け用の広告紙などを眺めたりしています。

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大勢でグリルをするときに観察していると、男性は常に「次に何をするべきか?」を考えながら行動し、女性はいかにその場を楽しむかを本能的に実行しているように思えます。人にもよりますが、そんな傾向があるような気がしてなりません。

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うちに男性ゲストが来ることは稀なので、いつもは砂漠人が一人で火を熾して料理するのですが、今回は父がどんどん作業を進めました。
薪を一定の長さに折ったりするところが几帳面です。そして「砂漠人が拾ってきた枝はほとんど腐っているな」などと枝の質についての批評も入れながら。それでも今回は、両親が焼き上がった野菜の焦げた皮の部分をせっせと剥いたり、ゴミの始末をスマートにしてくれたので、いつもの慌ただしい砂漠人風のグリルより洗練された作業工程でした。お皿に盛ったグリルもいつもと色が違い、焦げていない。

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グリルなどやり方を知らないだろうと思っていた両親が、やたらに手際がいいので少し驚き、見直しました。でもわたしが子供の頃、両親が企画してバーベキューやキャンプに連れて行ってくれたことは一度もないと思うのです。

市場

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今週も、豊かな食卓です。

ヨーテボリの歴史

ヨーテボリが都市として建設されたのは、1621年である。当時のスウェーデン国王は、グクタフ二世アドルフであった。ヨーテボリの北部と南部の地域はそれぞれノルウェーとデンマークの支配下にあったため、ヨーテボリはスウェーデンにおいて西部の海につながる唯一の都市であった。それゆえヨーテボリは、軍事要塞として築かれた都市なのである。ヨーテボリの建設にはオランダ人技師が助力したため、この都市はオランダのアムステルダムにかなりよく似ているのである。
ヨーテボリの最初の住民はスウェーデン人であった。彼らは周辺地域から都市へ移住せざるを得なかった人々であり、兵士たちであり、オランダ・ドイツ・スコットランドからの移民だった。
ヨーテボリは漁港としても重要であった。人々は季節ごとに沿岸に来るニシンを獲っていた。300年前、スウェーデンではニシンが最も通俗的な食べ物だったのである。
1731年に東インド会社が始まり、多くの商船がヨーテボリから中国へ渡り、茶や香辛料や絹などを持ち帰った。
1700年代には、ヨーテボリに住む人の大半が Vallgraven(濠)の内側に住んでいたが、その後 Haga や Majorna や Masthugget の地域が築かれた。1800年にヨーテボリの人口は一万三千人だったものの、1900年には十三万人になっていた。100年の間にしかるべく大きな変化があったのである。都市には産業が発達し始め、工場で働くために周辺地域から新しく人が移り住んできた。最初の重要な産業は、繊維工業と造船業だった。
19世紀の終わりには、ヨーテボリに裕福な上流階級が存在した。彼らは、たとえば Avenyn(大通り)にある最新式の大きな集合住宅に住んでいた。一方で、産業における賃金は安かったため、住民の大半は非常に貧しかった。労働者は、たとえば Haga や Gamlestan などにある小さく古臭い集合住宅に住んでいた。労働者はしばしば大家族で、十人の子供のいる家族がひとつの部屋と台所だけの住宅に暮らしていることも珍しくなかった。20世紀のあいだに、ヨーテボリの人口は十三万人から四十三万人に増加した。そしてたとえば Västra Frölunda や Angered などの新しい住宅街が築かれた。今日では、造船業や繊維工業はほとんど姿をなくしてしまっている。最も重要な産業は今では手工業であり、Volvo と SKF はどちらも1900年に創業している。しかしながら今日最大の雇用主は、自治体なのである。
過去50年において都市は大きく成長し、往来も急速に増えた。それゆえ、多くの通りと幹線道路が建設され、ヨータ川にもいくつかの橋が掛けられた。
ヨーテボリにはつねに多くの住民がいた。初めにはオランダ・ドイツ・スコットランドの商人がここへやって来た。彼らは裕福で、都市において政治的特権を持っていた。また学校や病院へ寄付をしていた。
第二次世界大戦後、ヨーテボリの産業では多くの労働力を必要とした。産業はフィンランドや南ヨーロッパから労働者を送り込むことになった。1950~1960年代には、多くのユーゴスラビア人、ギリシャ人、イタリア人がここに働きにやってきた。
それらの人々の多くはヨーテボリに住み着いた。労働力としての移住は今ではなくなっている。現代のヨーテボリ人はスウェーデンの別の地域から移住した人々であり、また難民が新たに住民となることがしばしばある。

以上、語学学校の教材を訳したものです。
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chekdirma (palaw)

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今日はトルクメンの代表的な料理チェクドゥルマ(パラウ)を作る。イランから持ち帰った子羊の肉もいよいよ最後となったが、両親にも食べさせることができてよかった。もっとも、彼らは食材の質について砂漠人のようなこだわりはないので、それをどれだけありがたく思ったかは全くの未知数だ。
砂漠人は、自然の食物を摂ることがいかに大切かを両親に説明しようとしている。市場で買ってきた完熟の果物の香りを嗅いで「アロマがある」といい、プラスティック入りの日本の水ようかんを嗅いで「アロマはない」という。果糖と砂糖の分子構造は違っていて、その効能も違うのだと説明してみる。
一方、わたしの父は「糖は糖だよ。砂漠人はアロマ狂だなあ」と言って相手にしない。砂漠人の豪快な食卓に「多過ぎる。食べ過ぎ!」と繰り返している。ひょっとして、このブログを見ている人の中にも父と同じように感じている人が多くいるのだろうか。
平均的な日本人の食事の量からすれば、砂漠人のスケールは大きいのかもしれない。けれど、わたしはこれを食べ過ぎだと思ったことは一度もない。なぜなら、自分自身が数年間この食生活を続けていて、パワーは蓄えても脂肪を蓄えることはなかったからだ。
少なく食べて太っていないとしても、パワーもない。残念ながら、それが平均的な日本人の姿じゃないだろうか。わたしはそう考えている。今自分が身を置いている快適な環境を離れたらたちまち弱ってしまうような、サバイバル力が大きく欠けた人間になってしまっていないだろうか。そしてもしそうならば、それは食事を含む生活スタイルに原因があるはずだ。

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両親は毎日「食べ過ぎ!」と言いつつも、胃腸の調子もよくサバイバルしているようだが、どういうことだろう? おまけに快眠ときている。

穫れたて野菜

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にんじん、たまねぎ、じゃがいも、いんげん。これは、日曜園芸で野菜や花を育てているお隣さんにいただいたものなのだ。ひとつひとつが光るように美しいので、驚いた。こんな野菜が穫れたなら、誰もができるだけ生に近い状態で食べてみたいと思うだろう。
野菜のすばらしさもさることながら、わたしはこのパッケージを見て、思わずハッとしてしまった。「少量の野菜」、「洗練された配置」などなど、砂漠的生活では全く忘れていた概念を想起させられたからだ。スモール・イズ・ビューティフル? わたしは砂漠人になりかけているかもしれない。

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一階下に住むスウェーデン人のお隣さん。停電の際はお留守だったけど、今のところ彼女だけが信頼できるご近所さんなのです。

ベリー摘み

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日本から遊びに来た両親が、さっそく森のベリーを摘もうと出かけていった。小さなプラスティック容器を二つ渡して「それをいっぱいにするには一時間はかかるよ」と言って送り出したのだが、収穫物を見てびっくり! サクランボまでたくさん採ってきたのだ。木に登ったわけではなく、木の根元に落ちている熟れたサクランボを拾い集めたのだとか。さすが、年の功。ベリー狩りはとくに母が楽しみにしていて、父は「そんなもん、いらん」と言っていたのに、実際に摘む段になると、父の方が精を出して摘んでいたのだという。
手前の枝についた赤い実は、特に甘くはなく、味はいまひとつ。名前が分からないのだが、ここではよく見かける実だ。

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Author:kumoki
砂漠人に学ぶナチュラルライフ
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