2009-10

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ブーレック

ラマダン中、カロリーを補給するためなのか、油で揚げたおやつがよく作られていた。そのひとつが、ブーレック(burek)というおやつ。断食はしていない小さなこどもたちは揚げたてをおいしそうにほおばっていたけれど、大人は日没以降、初めての食事で口にすることができる。

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ブーレックは手のひらに乗るくらいの大きさで、魚やじゃがいものすり身の入った塩味のおやつだ。各家庭で少しずつレシピや形が違うようである。砂漠人の母が作るものは、手慣れたおばあさんがこしらえたような形をしていて、いかにもおいしそうだ。彼女は何十年とこれを作ってきたのだろうか。

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DSC_0038_20091101052550.jpg おしゃまな姪!

日本でも、お正月の餅やひな祭りのひなあられ、年中行事のたびに特別な食べ物があるけれど、今では自家製を用意している家庭がどれだけあるのだろうか。すべてを買って形式的に済ませておいて、文化的に豊かだとは胸を張って言えないな…と思った。
そしてこういう昔ながらのおやつを日常的に食べてみると、ここでは時間が本来の人間のペースで流れているのだなと感じられるのだった。

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ラマダン

今回のイラン滞在中、最初の十二日間はラマダンにかかっていた。ラマダンというのはイスラム暦でいう第九月で、この一ヶ月はイスラム教徒は夜明けから日没まで断食しなければならない。砂漠人とわたしは、町に到着した当日は食事もお茶もとったけれど、二日目からは断食をすることになった。親戚一同、そして子供までが断食しているというのに、わたしたちが食べるわけにはいかないではないか。いやそれ以前に、イスラム教徒たるものラマダンはすべきなのだ。そしてただ断食すればよいわけではない。一日五回、決められた時間に男性は近所のモスクへ足を運び、女性は家でお祈りをする。ただし、お祈りはラマダンでなくとも、毎日すべきことである。

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甥っ子に教わりながら、クルアーンを復習する砂漠人


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晴れて、モスクデビュー

とても経験なイスラム教徒である弟たちに促され、砂漠人はラマダン中、わりと頻繁にモスクへ通っていた。後で聞いたら意外にも、砂漠人はそれを楽しんだとのことだった。そして祈りというものにはそれなりの意味と効果がある…というようなことを言っていた。もちろんわたしもクルアーンをすらすらと唱えられるようであれば喜んで祈りたいと思うけれど、まだまだ練習不足で、祈る精神状態には達することができない。イスラム教の祈りは、頭を床につけたりする姿勢がよく知られているが、砂漠人の弟の言葉を借りれば、膝の裏を伸ばしたり、ヨガのような身体的効果もあるのだそうだ。
さて、ラマダン中は日が昇っているあいだに食事をとったり、水を飲んだり、歯を磨いたりしてはいけない。わたしにとっては、断食は思ったより簡単なことだった。さすがに初日は、ふと何かを口にしたい衝動にかられたけれど、食べられないと分かっていればなんとか過ごせるものだ。もっともわたしは朝起きるのも遅く、仕事もせず、疲れたら寝ていればいい身分だったので、辛くなかったのは当たり前かもしれない。
それでも夕方になり、モスクから聞こえてくる合図と同時に飲む最初の一杯の紅茶は、格別なものだった。温かい紅茶を口にできることが、どれだけありがたいことか…そう感じることができるのだ。

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ラマダン明けの食事

ラマダン明けの食事は、まず最初に砂糖をたっぷり入れた紅茶や、ホルマという甘いドライフルーツ(ナツメヤシ)を口にする。消化を考慮してなのか、どろっとしたスープ状の食事が多かったようだ。この最初の食事を機に、夜明けまでは飲み食いをしていいのだが、基本的には午前三時頃に次の食事をとる。夜明け前のその食事は、チェクドゥルマやその他のごはんを使った料理を食べていたので、これは明らかに次の断食のための腹持ちを考慮してのことだろう。

DSC_0323_20091031041302.jpg ラマダン明けの食事と甥っ子

ロバとオートバイ

砂漠のこどもは、3歳になるとロバに乗る。そして10~11歳になれば、オートバイに乗り始める。この驚くべき事実。十代前半のこどもが、オートバイを乗りこなして羊の群れを統制しているのだ。しかも、足にはいつもゴム草履をつけている。ヘルメットなど、なんのその。
彼らはうらやましいほど自由で、あまりにたくましい。

DSC_0079.jpg 羊飼いの甥っ子(3歳)

DSC_0333_20091029050749.jpg羊飼いの次男(13歳)

DSC_1040.jpg羊飼いの長男(15歳)

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でもやっぱり、砂漠にはロバが似合うと思うのだ。

深まる秋

暑い日が続いていたイランからスウェーデンに戻ってきたら、一転して秋の冷たい風が吹いていた。樹々はその葉を鮮やかな色に染めているけれど、落葉はすでに始まっている。こんなに美しい色をしているのに、これを見られる晴天の日は、残念ながらほとんどない。スウェーデンの秋はほぼ毎日、曇天または雨空が続くのだ。

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砂漠の思い出にゆっくりと浸りたいところですが、再開したスウェーデン語の勉強で四苦八苦の毎日です(ほんとは膨大な量の写真を整理しています…)。

タラソテラピー

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羊の群れを放している場所は、両脇を水路が流れている。それはカスピ海から魚の養殖場まで、海水を運ぶための水路なのだそうだ。片側は、海から養殖場までの水路、もう片側はその逆に流れている。水路の向こう岸までの幅は20メートルほど、深さは一番深いところで6メートルほどあるそうだ。水路の向こう側にはまた砂漠が広がっていて、別の羊飼いが住んでいる。とてもきれいな海水で、岸辺近くには小さな魚がたくさん泳いでいるのが見えるし、二枚貝もいくらか育っていた。

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砂漠に滞在中、天気のいい日は必ずこの海水の側で日光浴をした。誰も通ることのない砂漠の中の水路は、まるでプライベートビーチなのだ。イラン国内では、旅行者でも女性は髪の毛や肌を露出してはいけないことになっているけれど、ここでは全裸で泳いでも見られる心配がない。わたしは水着を持っていったけれど、一度使ったきり、わざわざ着るのがバカバカしくなり、その後ついに使うことはなかった。裸で泳ぐことの快感さ!
砂漠人はどこで手に入れたのか、特別な魚の油を全身に塗り、それが乾いたら少し泳ぎ、今後は浜辺を掘り返して中から黒い泥を取り出し、それをまた全身に塗って、乾くまで日光を浴びながらじっとしている。

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わたしはしばらく、油や泥を塗ることの意味が理解できないでいた。魚の油は想像どおりとても臭いものだし、泥もきれいなものとは思えない。ところが砂漠人によればそれらは両方とも、効能のあるものなのだそうだ。全身に油を塗り、乾くまで日光を浴びる。表面の油が乾いた頃には、油が全身に染み込んでいる。つまりそれは、油分を効果的に補給する役割があるのだそうだ。そして海水の側で日光浴を行うことが大事なのだとのこと。
また浜辺を少し掘ると、黒い泥が出てくる。それは海水からのミネラルをたっぷり含んだ栄養のある泥なのだそうだ。それを全身に塗ることで、ミネラルを補給することができる。そうして過ごすと数日後には、肌はきつね色に焼き上がると同時に、ツヤツヤで健康的に保たれているというわけだ。砂漠人が砂漠から帰ってくるたびに、肌がピカピカしている理由が今回、正確に理解できた。

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ここでは水路で泳ぐことも、油や泥の効能も、砂漠人のほかには誰も考えたり実行する人はいない。けれど、これだけのタラソテラピーは世界中どこへ行っても見つけるのは難しいだろう。この旅の一番のトリートメントとなった。

ユルタのしくみ

ユルタは一年のうち、秋から春にかけて砂漠に設置され、夏のあいだはしまわれる。夏は、別の場所にある休耕田に羊の群れを移動させるのだそうだ。
ユルタの骨組みは堅い材木で形成され、外側はフェルトで覆われている。下部は、今では半透明のビニールシートで覆われているけれど、本来はこの部分も自然の原料で織られた生地を用いていたそうだ。ユルタの形は強風や雷に強く、また中で焚き火をすることによって冬でも十分に暖をとることができる。蒸し暑い日は、下側のビニールを少し持ち上げて、風を入れることもできる。原始的で、合理的な住居だ。考えてみれば、日本の竪穴式住居とそう変わらないので、羊飼いや遊牧民が今でもこの形で暮らしているのは驚くべきことだ。
天上部分には天窓があり、フェルトの一部を開閉できるようになっている。中で火を焚くと、その煙がまっすぐ上に昇るしくみになっているのだ。そして晴れた夜には寝ながら満天の星を眺めることができる。

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ユルタを覆っているフェルトには小さな穴がいくつか空いていた。以前の羊飼いのユルタも同じく小さな穴がいくつかあったので、わたしはてっきりそれが通気のための小窓なのかと思っていた。ところが今回、あらためて羊飼いに尋ねてみたら、それらの穴は保管している間にネズミがかじった跡なのだとか。このネズミの被害は避けられないのだそうだが、不格好な穴も、図案としてはそれほど悪くないんじゃないかと思った。

砂漠のユルタ

イラン滞在中はいつも、砂漠人の母の家にお世話になっている。そこはイラン北部、カスピ海のほとりにある小さな町だ。今回はそのうち九日間、羊を放牧している砂漠地帯に泊まった。羊飼いの住むその場所はイランとトルクメニスタンの国境地帯なので、町から行く途中にはイラン側の検問所を通過する必要がある。一般の人は入れない場所なのだ。そしてそこはこの季節、緑の草の広がる美しいところだ。

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羊飼いの住む家は、ユルタという。遊牧民の移動式住居のことで、モンゴルのゲルとほぼ同じものだと思う。随分おもしろい形を考えたなあと思うけれど、ユルタがこの形であることにはそれなりに理由があるのだろう。
外側上部を覆っているのは、羊毛から作ったフェルトで、通気性に優れている。そして雨が降ってもフェルトが水を吸い込むので、原則的に雨漏りをすることはない。冬はユルタの中が暖かくてとても心地がいいと思ったけれど、夏はそよ風が吹くので、外で過ごす方が気持ちがよかった。それでも、晴れの日は日差しがとても強いので炎天下に長くいることはできず、停車させたトラックの影で過ごしたりした。

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羊飼いには、砂漠人とわたしが寝泊まりできるよう、予定よりも早くユルタを設置してもらった。砂漠に着いたときにはすでに外装も整えられていたので、あとは中に絨毯を敷いて、荷物を運び込むのみだ。

羊の国から

動物たちとともに暮らした六週間は、またしても、とても困難な毎日だった。でも愉快だった。困難さも楽しさも、前回よりさらに強く感じたように思う。砂漠人はこんがり、わたしは少し日焼けをして帰ってきた。
古風なトルクメンの暮らしから、スウェーデンでの都市生活に戻ってみると、あれほど現実感のあったトルクメンの世界がすでに遠く思われる。けれど以前よりも、砂漠という場所に対する砂漠人の憧憬を身近に感じられるようになったかもしれない。

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