2009-11

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ナンとプシメ

ラマダン中は、ブーレックという油で揚げたおやつの他に、ナンとプシメも作られていた。ナンは日本でもよく知られているインドのナンと同じだが、トルクメンは小麦粉を練って油で揚げていた。高カロリーなので、断食中の不足分を補う役割があるのだろうと思った。

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お母さんが練って、

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お嫁さんが揚げる。真ん中に小さな穴の開いた、塩味のナン

一方、プシメは何かというと、ドーナッツのようなお菓子だ。日本やアメリカのドーナッツのような甘さはないけれど、ほのかに甘い、食べやすいお菓子だった。

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このときもお母さんは部屋の外に布を敷いて、小麦粉をこねていた。たまごと砂糖とベーキングパウダーを用いていたように思う。

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子供から大人まで、お母さんの手作りのナンやプシメを存分に味わっていた。プシメをかじりながらお茶を何杯も飲み、いつまでたっても話が尽きない。彼らは毎日一緒にいる家族でも、いくらでも話すことができるのだ。日本人も同じだろうか。少なくともわたしの家族はそうではないように思うのだが、こういった随所にゆとりが感じられる生活は穏やかなだけでなく、人と人との間の絆を強めるように思う。

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お母さんのパン

イランでは毎日おいしいパンが手に入る。それでも砂漠人の母はときどき、自家製のパンを焼くことがある。それはそれはすばらしく美しいパンだ。

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直径40cmくらいはあるだろうか。「月のような」という表現がぴったりの、まんまるのパン。焼き上がったものを見ていつまでもうっとりしてしまう。
何十年と料理や裁縫の経験を積み上げてきたお母さん、あるいはおばあちゃんの手というのは、その動きに無駄がなく、安定している。手のみならず、作業工程すべてが洗練されている。そしてその手から作り出されるものは同じく、安定感があると思う。そういった所作を持った人を見る度に感心してしまうが、一方で日常の自分の作業や手の動きを見てみれば、いかに初心者かがよく分かるのだ。なんというか、一本筋の通った動きができていない。いつになったら、こなれたしぐさが身につくのだろうか。精進しなければならない。

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風呂場からガスを引いて、外で作業していました

犠牲祭と断食祭とサダカ

今日、イランではグルバン・バイラム(犠牲祭)だった。グルバン(=犠牲)・バイラム(=祭)はトルクメン語だが、ペルシャ語で何と呼ぶのかわたしは知らない(エイデ・ゴルバンだったか?)。犠牲祭は、断食明けのお祭りとともにイスラム教の重要なお祭りの一つだ。お金持ちの家ではこの日に羊や牛を殺し、その肉を貧乏な人たちに施すのだそうだ。肉そのものをご近所さんに配ったり、料理をモスクに運んだり、家にご近所さんを招いたりする。
砂漠人の実家では、今年は牛を一頭屠殺したそうだ。羊を一頭殺すとしたら、それは施しをする人間の一人分なのだそうで、たとえば砂漠人の実家のように施しをする人間が七人いた場合は、羊七頭に相当する牛一頭を殺してもいいらしい。施しをする七人の中にはなんとわたしも入っている。昨日、イランに電話中の砂漠人から念入りに許可を求められ、意味も分からず OK と答えたのだが、犠牲を行う人の許可がなければ犠牲を屠すことはできないそうだ。

残念ながらこのお祭りには参加できなかったが、イランに滞在中、ラマダン明けにもう一つのお祭りを体験することができた。ラマダンの終わりが近づくとみな口々に「祭りがくる」と言い、ラマダンが終わった翌日には「祭りがきた」と表現していた。
おそらくその祭りはラマダンが無事終わったことを祝うのだろうし、男性はもちろんモスクに集まって礼拝をするが、特別なことといえば、みな新しい服を着ることだろうか。子供たちはそれぞれが「最高にイケてる服」を選んで買ってもらっていたようだ。女性と子供たちの買物について行ったら、六歳の姪が欲しい服の売っている店の前で泣き叫んでダダをこねたので、わたしは呆れて帰ってきてしまった

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イケてますかね、、、

このお祭りの日はどこの家も、いつ人が来てもいいようにお茶とお菓子を用意している。今回は日本人のわたしが滞在しているということで、好奇心の強い子供たちの来訪が多かったようだ。よく作るチョコレート・ブラウニーを作ってあげたら大好評で、その日のうちになくなってしまった。

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イスラム教にはまた普段から「サダカ」といって、家族や親戚、隣人に施しをする習慣がある。日本の「お裾分け」という習慣が概念としてはよく似ていると思った。そうやって、富める者はつねに貧しい者と分け合うというのがイスラムの基本的な態度のようだ。

イランのパン屋

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イラン国内では、いつでもどこでも焼きたての大きなパンを、破格で買うことができる。そしてなんとそれは、国産小麦100%の石焼パンなのだ。つまり、イランの人たちはかなり上質のパンを食べている。砂漠人の故郷の町にもいくつかパン屋があって、食事の時間が近づくと人々が買いに出かけてくる。砂漠人の母の家では、早朝は弟が、夕方は甥や姪が遣いに走っていた。
パン屋はすべて国営で、そのため極めて安い価格で買うことができるのだ。どんなに貧乏でも、この上質のパンを日常的に食べることができるので、日本の貧乏とは比べものにならないな…と思った。イランの現大統領は西欧社会や都市部のイラン人には評判が悪いようだが、田舎では、特に生産者からは実際、支持されている。

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外で遠慮がちに撮影していたら、キッチンを撮っていいと招かれた!

パンはよく知られている石窯とは違い、熱した石がオーブンの中をぐるぐる回るシステムになっていた。回転石焼パンと言えるだろうか。そして焼き上がったら、店のカウンターに熱々のパンがドンと並べられ、買う人がそれを受け取って自分で冷ますルールになっている。そのため、店の外には冷ますための台やベンチが置いてある。

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銘々が大きな袋を持って出かけてくる

砂漠人とわたしは普段の食事を弟の奥さんに任せ切りにしているのだが、羊のいる砂漠に出かける際には必ずパン屋に立ち寄る。自分たちの食べる分と、羊飼いの家族のためだ。それから犬たちの分も忘れずに買う。こんな上質のパンを、ここでは犬や家畜に与えてしまうのだ。

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DSC_0848.jpg一枚=数円で買えます

イランでは米もよく食べるけれど、パンもよく食べられていた。食事のときに限らず、お茶の席にもパンがしばしば並べられる。焼きたてパンは香ばしく、噛めば甘みがあり、気づいたらこんな大きなパンを一枚食べてしまっている…なんてことになりかねないのだ。砂漠へ向かう車の中で、広大な緑を眺めながら焼きたてのパンをほうばる。

もっと砂漠人

砂漠人は、とても野性的な人間だ。少なくともわたしは、彼以外にこの性質を持った人を知らない。そう思っていた。ところが砂漠人のこの弟を知ってからは、本物の砂漠人は彼だった! と思うようになった。

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彼は、非常に敬虔なイスラム教徒である。一日に五回、早朝から晩まで時間がくるとモスクに向かう。モスクに行けない場合も、もちろん礼拝は欠かさない。羊飼いとのやりとりや、牛の世話を一手に引き受けているのも彼だ。砂漠まで水や餌を運んだり、施設の建設作業もこなす。
彼はこの町に住むことがとても好きなようだ。どこに行っても多くの人と挨拶を交わし、楽しそうに話をしている。そんな彼だが、かつてはフィンランドに暮らしたことがある。当時フィンランドに住んでいた砂漠人が呼び寄せて、レストランを経営していたのだそうだ。彼は英語を少し話すのでわたしに詳しく説明してくれたのだが、フィンランドに来て初めの一週間のうちに砂漠人がピザの焼き方を教えてくれて、あとは一人でやるよう任されたのだそうだ。言葉も文化も全く知らない中で、身振り手振りでお客さんから注文を聞き、調理をした。ときどき、まだ習っていない種類のピザの注文が来たときは、砂漠人に電話で教わりながら作った…という話には大笑いしてしまった。
それでもそうやって暮らすうちに、異国の文化になじめなかったようで、「ここでは暮らせない」といってイランに帰ってしまったのだそうだ。砂漠人は彼のそんな一面をとても尊敬していて、最強の男・頭のいい男と称してわたしに話してくれた。

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また彼はイランに戻って以降、パキスタンやインドにも旅している。おそらくそれはイスラムを探る旅だったのだろうが、パキスタンなどで暮らしてみるとイランでの生活がとても楽に感じるものだと教えてくれた。いえいえ、わたしにとってはイランで暮らすだけで十分、スウェーデンでの生活が楽に感じられるので、パキスタンなどとんでもない。行くことはないと思います。
彼は砂漠人の弟とはいえ、わたしより年上だ。わたしのことはおそらく妹のように思っているに違いない。実際、わたしも兄のようにしか思えない。彼は英語も片言だが、いつだったか「わたしはアビ(砂漠人)がとても好きだ」と間違ったスウェーデン語で言ってくれた。多くの兄弟の中でも、砂漠人のことを特に信頼しているようで、この年になっても兄弟で協力し合って暮らしているというのは、なんとも理想的な、すばらしい関係だと思う。もちろんこんなに面倒見のいい兄を持ったら、それは難しくないとも思うけれど。
さて、彼の野性味を説明するとしたら、その身体感覚について書かずにはいられない。たとえば砂漠から戻った車を洗うのを見たとき、わたしは思わずカメラを取りに走った。濡れた地面に平気で寝転がって、泥で汚れた車の下側を洗っていたのだ。考えてみれば当たり前だが、誰でもこういうふうに洗えるものだろうか。

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また彼はトラクターを運転するとき、素足だ。羊の餌となるトウモロコシは、トラクターでつぶして寝かせて発酵させるのだが、トウモロコシの上を何度も何度も行き来する作業を素足でこなしていた。ワイルド!

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はたまた砂漠で車のガソリンが足りなくなったとき、彼はガソリンタンクに挿したポンプをくわえ、口でガソリンを吸い出して車へ移していた。もちろんガソリンが口に入ったようだが、当たり前のようにペッペッと吐き出して続けていたのだ。
そしてなにより、ごちそうとなる羊やヤギを屠殺するのも彼の役目だ。羊を屠殺し、肉の塊にしてからわたしたちのもとへ届けてくれる。

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シャツに生々しい血の色が、、、

どれもこれも、さすがの砂漠人もやらない、あるいはできない作業だ。この弟を見る度に、あの野蛮人だと思っていた砂漠人が、いかに洗練されているかを考えさせられるのだ。

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砂漠人がヨーロッパ人のように思えてくる

日焼けした黒い肌に、大きな手。そして満面の笑顔と柔らかい声の弟は、神に祈り、自然を愛し、動物をかわいがり、今日もイスラムについて考えているだろう。

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トルクメンです

羊の移動

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穏やかだったリハビリセンターでの日々を終えて、元気になった羊は砂漠へ戻されることになった。何頭かの羊は子羊を産んだ。一頭の母親羊は、砂漠人とわたしが餌をやり過ぎて死なせてしまった。現役引退のゴチは砂漠の群れには戻れず、市場に売りに出される。一頭のヤギはわたしたちのごちそうとなる。二十数匹の小さな群れだったが、それぞれがその運命をたどっている。
羊たちはトラックの荷台に載せられて、砂漠へ移動する。羊を囲い込んで荷台に載せるのは、砂漠人の弟の仕事だ。彼はたいそうな力で羊をエイッと持ち上げる。力仕事はいつも彼の出番のようだ。トラクターの運転も、羊を運ぶのも素手と素足でこなすのだ。「ワイルド」という言葉が、彼そのものを表わすと思った。

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砂漠三兄弟(12人中)が作業する


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彼が最もワイルドな弟だろうと思う

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羊たちは荷台に押し込まれ、落ち着かずにうごめいている。それでもこれから仲間の待つ砂漠に戻るのだ。ひょっとしたら期待でわくわくしているのかもしれない。
ところで羊の群れには必ずいくらかのヤギが混じっているのだが、ヤギというのは羊よりもすばしこく、高い屋根などにも簡単に登ってしまう、不思議な運動能力を持った動物なのだ。だからこそ、扱いにくくもある。数頭のヤギも砂漠へ返すことになったのだが、トラックの荷台に載せればこのとおり、荷台から飛び出てしまっている。もちろんヤギも群れる習性があるので逃げ出してしまうことは稀だが、いつもハラハラさせられる。

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なにを考えているのか、見当もつきません

ラクダ再び

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まるで大地に恐竜が這っているかのようなウソのような写真だが、これは日常風景だった。
二十数匹いた羊の群れを毎日センターの外に出して散歩させていたのだが、羊たちは草を食べながら自由に移動してくれる。羊飼いとしては特にすることもないので、そのあいだは羊や景色をボーッと眺めている。町から外れたこの辺りは、一面に草原が広がっているのだ。そして近くに流れている小川の向こう側には、別の羊の群れやラクダが放し飼いにされているのが見える。

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かなり遠くの方から、ラクダはわたしたちに近寄ってきた。それが毎日なのだから、こちらにあいさつに来ているとしか思えない。ゆっくりゆっくり近づいてきて、気がつくと何気ないふりをして側で草を食べている。広大な土地に比べたら小さな存在の動物たちは、お互いの存在を確認し合うようにして生きているようで、そんな風景に彼らの社会を垣間見たような気がする。

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以前に砂漠でラクダの群れに遭遇したとき、思いがけず一頭のラクダがわたしに猛接近してきたのだが、なんと今回も同じ目にあった。じっと立っていたら、向こうからのっしのっしと近づいてきて、カメラのレンズに届くかという距離まで迫ってきた。やっぱりこれは、彼らのあいさつの方法なんじゃないだろうか。

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砂漠

先日スウェーデン語のクラスで砂漠の話をしたら、先生が「そこは砂漠じゃなくて、ステップじゃないか?」と指摘してくれた。羊を放牧している砂漠は、一面に緑の草が生えているからだ。砂漠人からステップという単語は聞いたことがなかったので、違和感を覚えながらも、あれだけ草が生えているんだから確かにステップ気候かもしれないと思った。家に帰って砂漠人に聞いてみると、やはりあの場所は砂漠気候なのだそうだ。

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学校の地理で習う「ケッペンの気候区分」によると、乾燥帯の中には丈の短い草原が広がる「ステップ気候」と植物がほとんど育たない「砂漠気候」がある。うちが羊を放牧している場所や、砂漠人の母の住む町のある地域は、砂漠気候に属するそうだ。では、砂ばかりのはずの土地に、なぜ草が生えたり樹木が育ったりするのだろうか。
その理由は、カスピ海にあった。この砂漠も町もカスピ海の沿岸部にあるため、海からの湿気でいくらかの植物が育つのだそうだ。不思議なのだが、地下を掘れば淡水が出るのだという。ということは、ここはまるでオアシスではないだろうか(オアシス都市としては知られていないけれど)。
ただし地図で細かく確認してみたら、カスピ海沿岸から少し東に入った場所(ゴレスタン州東部)はステップ気候が占めていて、それ以降トルクメニスタンのカラクム砂漠にかけては、また広大な砂漠気候が広がっていた。総じて、ここはカラクム砂漠の一部だと考えていいのだろう。
そういう訳で、ひと安心だ。なぜならば、もしここがステップだったら「砂漠人」を「ステップ人」に変更しなければならないじゃないか!

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見事に育ったザクロの木。育てれば育つのに、庭や畑の世話をする家はほとんどいないのだ。それでいて、実った果実を次々と持っていくんだから砂漠人のお母さんとしてはたまったもんじゃありません。

菜園

リハビリセンターの一角には、砂漠人が去年の春に種をまいた菜園がある。スウェーデンで食べた果物の種や、トマトなどの野菜の種をまいたそうだ。その後、野菜が順調に育っている様子を聞いていたのだが、あるとき悪い知らせが入ってきた。育っていた野菜や果物が羊たちに食べられてしまった、と。

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菜園の周囲は柵で囲むでもなくオープンになっているので、羊たちが自由に歩き回っておいしい苗を食べてしまったのだ。現場で仕事をしている砂漠人の弟たちは、忙しくて野菜のことなどかまっていられなかったようだ。砂漠人はせっかくの仕事が台無しになって怒っていたが、よくよく聞いてみればもっともなことだと思った。この町では毎週、市場で新鮮な野菜が安価で手に入る。だから地元の人たちは、庭で育てた野菜などに関心がないのだ。自家製の野菜に価値があると考えることができるのは、市場に流通している青果の質を知っていればこそなのだろう。いまやイランでも、野菜を効率的に育てるために農薬や化学肥料が使われている。それらは砂漠人の理想とする食べものとは異なるものだが、素朴な町の人たちが知るよしもない。

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Q: これは何でしょう?

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A: スイカです。小さい!

放置された畑ではあったが、それでもいくらか実がなっているものがあった。ミニトマト、メロン、スイカなどだ。畑には牛の糞を敷いて土を作り、種を植えれば、あとはカスピ海の気候と空気が育ててくれるそうだ。今度種をまくときは念を入れて、羊や人間(泥棒)が入らないよう柵を作らねばなるまい。モグラなどの対策も必要だろうか。日本でも家庭菜園を作っている人は多いけれど、わたしはやったことがないので今から楽しみだ。自分の庭から野菜を収穫して料理をするなんて、まるで絵本で読んだ物語のように思える。

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メロンです

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羊飼い

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リハビリセンターで療養している羊たちは日に一度、敷地の外に出して、散歩がてら野生の草を食べさせている。ここには羊飼いを雇っていないので、その仕事は自分たちでやるのだが、これは隠居仕事としては最高のものなのだそうだ。
小さな羊の群れを連れて散歩に出る。羊たちは自ら草を求めて移動するし、番犬もついているので、羊飼いは羊たちが散歩するのをのんびり眺めていればいいのだ。

DSC_0836.jpg奥に見えるのがリハビリセンター

じつはイランに滞在中、「ここから逃げ出したい」と思うことがしばしばあった。慣れない環境につい不満をぶつけたくなるのだ。ところが毎日ここに来て小さな群れと散歩をしていると、そういった感情がすべて吹き飛び、この町ほど幸せに過ごせる場所はないとすら思えてくる。それほど穏やかな場所だった。

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このとき砂漠からリハビリに来ていた羊は二十数匹。彼らはここで新しい群れをなしているのだが、そのリーダーがこの大きな雄羊だった。トルクメン語で「ゴチ」と呼んでいた。ゴチは砂漠に飼っている今の群れを創った偉大なる父だ。砂漠の羊は全体で数百頭いるけれど、そのうち雄の羊はなんと10頭以下しかいない。残りは全部、雌なのだ。そして雄の羊の中でも一番力のある羊がリーダーとなる。羊たちは通常、人間が近寄ると体に触れられない程度に逃げていくのだが、不思議なことにリーダーだけは一歩前に踏み出して、主人にあいさつに来る。なでてやると擦り寄ってくる。それがこのゴチだった。
ゴチは現役を引退してリハビリセンターに来た。数日間一緒に散歩をして、わたしも砂漠人も楽しいときを過ごさせてもらったけれど、ついにある日、市場に売りに出されてしまった。昨日までわたしに擦り寄ってきていたゴチは、今日はもう誰かのお腹に収まったのかもしれないと思うと愉快ではない。けれど、それが彼らの運命なのだ。

DSC_0747.jpg晴れた日の散歩風景

DSC_0749.jpgここにいるときの砂漠人は至福そのもの!

リハビリセンター

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新居から車で五分くらいのところに、約1ヘクタールの土地がある。町の外れなので、その敷地の西側は何もない大地がカスピ海まで延々と続いていて、また南側には5000m級の山脈が遠くにそびえている。この敷地は周りをブロック塀で囲んで、大麦・とうもろこし・干し草など羊の餌を保管する場所として使っている。また砂漠から弱った羊を連れて帰り、特別な餌を与えて元気を回復させるための「リハビリセンター」としても機能している。羊の群れを保持するためには、餌を確保したりその他のケアをしたり、年間計画(と実践)がなければうまくいかないのだ。砂漠人は弟たちと試行錯誤しながら、この五年でここまで群れを大きくしてきた。

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DSC_0775_20091112074128.jpgブロックも壁も自家製です

羊の社会にも、妊娠したり病気やケガをして、群れについていけなくなる羊が常にいる。羊は群れて暮らす動物なので、決して単独行動は取らず、どんな場合でも群れについていこうとする。しばしば、群れについていけない小さなこどもを置き去りにする母親がいるほどだ。また砂漠では、群れは毎日数キロメートルもの距離を移動しながら草を食べている。相当な運動量なのだ。
リハビリセンターでは、砂漠のように多くの距離を移動しなくてすむ上に、特別な餌を用意している。弱った羊には、運動量を減らして栄養のある食事を与えるというわけだ。また屋根と塀があるので夏は涼しく、冬は暖かい。ただし、気をつけなければならないことがある。砂漠から連れてきた羊は、たくさん運動し、野生の草を食べて育っているので、栄養価の高い餌を急に与えると、消化し切れずに腸が詰まり、死んでしまう恐れがあるのだ。リハビリセンターに連れてきたら、初めのうちは注意深く見守る必要がある。
そうして羊たちは、しばらくの間ここで英気を養い、再び砂漠へ、群れへと戻っていく。

DSC_0596.jpgリハビリセンター門前。ここは4匹の番犬が守っている

DSC_0605.jpg東側には町が見える

DSC_0606.jpg西側、カスピ海に沈む夕日

無花果・柘榴・桃

砂漠人の母の家には、イチジクとザクロとモモの木がある。どれも二階建ての屋根に届きそうな高さで、たっぷりと実をつけていた。無花果と柘榴は昔から植えていたもので、桃は数年前、砂漠人がスウェーデンから持ち帰った種を、お母さんが大事に育てたのだそうだ。

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桃は特に見事な出来映えで、市場でもこんなにおいしいものは見つからないほどだ。ところがあまりにおいしいので、近所の子供たちがこっそり(または堂々と)もぎ取っていってしまうのだ。見張り番のお母さんが大声で怒鳴っても、まったくおかまいなし。桃は見る見るうちになくなってしまい、砂漠人とわたしはかろうじて一個だけ、食べることができたのだった。

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ザクロも然り。日本のものとは違い赤くて甘いザクロなのだが、大きくなる前にもぎ取られてしまうので、食べようと思っても手の届くところには小さい実しか見当たらない。トルクメンの子供たちは(うちの甥や姪もそうなのだが)、概して大人の言うことを聞かないのだ。非常に独立心が強く、実際自立しているのだけれど、憎らしい悪ガキでもある。

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お母さんは、砂漠人とわたしには特別に庭の果物をもてなしたかったようで、毎日「なくなる前にどんどん食べなさい」と促してくれた。それに答えるように砂漠人は、最後の日に木に残っているザクロを一人で平らげたのだった。

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イチジクの木は植えている家が比較的多いので、被害は少なかったようだ。ちょうどラマダンの時期に重なったので、少しずつもいで、日没後の最初の食事の際に食べていた。どの果物も、完熟のものをその場でもぎ取って食べるので、格別のおいしさがある。

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三種類の木が立ち並ぶ砂漠人の母の庭。無花果の後ろには、桃と柘榴が生えている。甘い甘い果実を味わえるはずなのに、近所の子供という天敵が邪魔をする。なにかいい対策はないものだろうか。

子犬

チーズおじさんとの後日談。
わたしが犬に噛まれたために、隣町の医者まで三回もワクチン接種に行ったのだが、ドクターには「最後の日までに、噛んだ犬の屠殺処分を希望するかどうかを決めるように」と言われていた。噛んだとはいえ、こちらにも非があると思ったし、ましてや知り合いのチーズおじさんの番犬を殺すなんてとんでもないとわたしは考えていた。
そして最後のワクチン接種の前日に、わたしたちは再びチーズおじさんを訪ねた。噛まれたことで警戒心が強くなったわたしは、なんとなく恐くて車から降りずにおじさんと砂漠人が話をするのを見ていた。どう話をつけるのかなあ…と見守っていたけれど、穏やかに世間話をしているように見えた。砂漠人も犬を殺す気は初めからないようだった。ウィルスを持っている犬は、人を噛んだらその約10日後に死ぬのだそうだが、犬が死んだという事実はなかったし、予防接種をしているということも聞いていたので、おそらくその確認をしただけだろう。
しばらくすると、砂漠人が車から降りてこいという。どうしてもというので外に出たら、チーズおじさんの息子が小屋の下に手を入れて、ゴソゴソと何かを取り出した。それはなんと、生まれたての子犬だったのだ。

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まだ目も開いていない、大きめのモルモットのような動物。こんな小さな犬は初めて見たので、生まれたときはこういう形をしているのか! と驚いた。子猫のようにゴツゴツ、フニャフニャした感じはなくて、柔らかい毛がふさふさとしているけれど、丸々として重量感のある、なんともいえない手触りなのだ。

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この二匹は、チーズおじさんからのプレゼントだという。わたしたちは旅行者なのでいただいても実際困るのだが、これほどかわいい動物を一度手にしたら、手放すわけにはいかないだろう。現金なわたしは遠慮なく、満面の笑みでお礼を言った。こわばっていた顔が喜びで豹変していたに違いない。ちなみにこのプレゼントは、番犬がわたしを噛む前からおじさんが約束していたそうだ。こんな喜びを与えていただいて、本当にありがたい。二匹を胸に抱えて、家路に着いた。

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DSC_0822.jpgまだ目が開いていないみたい!

宗教や慣習について

イスラムについて、わたしは語れるほどの知識も経験も持ち合わせていない。けれど、イスラム世界のひとつであるイランのトルクメンの生活を経験してみて、宗教や慣習について、思うところを書いておきたいと思った。その理由のひとつは、コメントにもいただいたように「イスラム世界は想像もつかない」という印象が日本人にとって最も一般的だと思うからだ。ましてやイスラムを思うときには、大勢で地面にひれ伏して祈っているイスラム教徒の姿、あるいは「アッラーフアクバル」と叫びながら自爆テロを実行するイスラム教徒(飛躍しすぎか?)の姿が頭をよぎるのではないだろうか。わたし自身、砂漠人に会う前はそういう印象を持っていたし、イスラムに対する肯定的な要素はほとんど知らなかった。でもそれはテレビの見過ぎであり、日本や欧米のメディアがイスラムについて完全に偏った報道の仕方をしているからだと、今では思うことができる。たとえば、「イスラム過激派」という言葉がやたらに報道される。イスラム自体を知らない人間に対して「イスラム過激派」を連呼すれば、彼らの無意識に「イスラム=過激派」という印象を次第に刷り込むことになると思うのだ。そして実際、そうなっている。
それはさておき、砂漠人の母の住む町には、イスラム教徒のトルクメンしか住んでいない。今回はそこで、ラマダンやその後のお祭り、結婚式など特別な行事を親戚の一人として経験することができた。もちろんすべてが初めてのしきたりだったので、共感を覚えたとは言えないけれど、それがイスラムゆえに特別なものだとも思わなかった。
イスラム教徒であれ、キリスト教徒であれ、仏教徒であれ、ユダヤ人であれ、日本人であれ、誰であれ、彼らはみな同じ人間だ。宗教や慣習というのは多少の差はあれども、基本的には人間が生きる上で必要とされる、心のあり方や儀礼の行われ方だと思う。そしてそれは、それぞれの風土に根ざしたものであるはずだ。だからその一部だけを切り取って「こんな変わったことをしている」と語るのは、無意味だと思うのだ(世界中の人間はそんな無意味なことを平気でやっているけれど)。あくまでも大事なのは、イスラムという背景を持った一個人が、または日本に生まれ育った一個人が、人間としてどう生きているかだと思う。具体的には、家族や親戚とどうつき合っているか、社会とどう関わっているか、どんな生活様式なのか、何を食べているか、などなど。そういった視点から見ると、トルクメンの生活は、わたしが知らないけれど憧れる「古き良き日本」に近いものに思えて仕方がない。未知の世界のイスラム教徒の生活とはとても思えないのだ。

──
抽象的な話になりましたが、わたしがこれからラマダンやその他のイスラム教について書く際には、上のような考え方に基づいて書いていると理解していただければ幸いです。ご意見などいただければもっと幸いです。

犬に噛まれた!

ある日の夕方、オートバイで海までドライブした帰り、砂漠人の知り合いの「チーズおじさん」の家に立ち寄った。彼はトルクメン語で「チーズおじさん」と呼ばれているのだが、特にチーズを作っているわけではないそうだ。

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その家は、集落と海のあいだの広大な土地にポツンと存在しているので、人が通りかかることはほとんどない。偶然寄ってみたらおじさんは喜んでくれたが、日本から来た砂漠人の新妻(わたし)を見て何度も「若い。若過ぎる。」と言っていた(苦笑…)。そしてたくさん飼っているヤギも見せてくれた。ヤギというのはヒツジと違ってかなり活発で、屋根の上でもどこでもヒョイヒョイと登ってしまう、厄介な動物なのだ。

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ヤギの他にはたくさんの番犬がいて、チーズおじさんの敷地の四方を守っていた。たしかにこの辺鄙な場所では、番犬がいないと泥棒やオオカミなどに対して不用心かもしれない。
辺りも暗くなってきたので、おじさんに別れを告げて、わたしたちはもと来た道に戻った。カスピ海から町につながる、細い泥の道だ。当然、おじさんの番犬が何匹か追いかけてきたが、そのときはまだ軽く吠えていた程度だった。
番犬たちがしつこく後をつけてきたので「あっちへ行け!」と追い払ったものの、効果なし。しばらく走った後、砂漠人は突然、オートバイのスピードを上げるべく、エンジンをブウン! と噴かせた。とても大きな音をさせたので、犬が怯えてそれで逃げ切れるかと思ったら大間違い。なんと犬たちはその音量に反応して、さらに大きく吠え始めたのだ。3~4匹いただろうか。後ろに乗っていたわたしは興奮した犬たちを見るでもなく、とにかくその場から離れられること願っていた。関心のないフリをするのが一番だと思ったのだ。
砂漠人につかまって前を向いていたものの、吠えている犬たちとの距離が縮まってきているのはうすうす感じていた。そこでもって、ガブッとやられた。噛まれたのだ。左臀部、つまりおしりをガブッと。
それはそれは驚いた。犬に噛まれたのだ。「犬は威嚇しているだけであって噛む訳はない」と、根拠なく思っていたものだから、噛まれた後でも痛いのにピンと来なかった。それでも精一杯、砂漠人の耳元で「犬が噛んだ! 犬が噛んだ!」と言ってみた。
砂漠人はいよいよバイクを止めて、暗がりで見守っていたおじさんの息子に「犬が噛んだぞ!」と叫んだ後、全力で、本当に野獣のような勢いで番犬たちを威嚇し、なんとか帰路につくことができた。そのド迫力に唖然としながらも、おしりを押さえながら「イランで犬に噛まれたよ~」と不思議な感慨にひたったのだった。
さて、家に戻ってさっそく話をした。わたしは周りの反応が楽しみで、どうやって説明しようかとワクワクしていたくらいなのだが、傷口を見た砂漠人の弟の奥さんが深刻な顔をして心配してくれた。確かにワンピースもパンツも、一部が食いちぎられてしまったのだ。それがまたおかしいけれど、イランの犬事情を知らないので、万が一、狂犬病にかかったら…という思いがないでもなかった。でも、話を聞いた砂漠人のお母さんはクックックッと笑っていたので、大事には至らないのではないかと思うことができた(そして実際、その犬は予防接種をしていたし、わたしもワクチンを打ったので問題なかったのです)。

イランで犬に噛まれたよ! ちょっとした自慢話です(?)。

ガチガチ

先日、イエテボリの友人の家に遊びに行ったら、彼女の飼っている老犬が会うなりわたしに(嬉しさで)飛びかかってきた。それで切に思い出したのだが、わたしはイランに大事な愛犬を残してきているのだ。

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「ガーチ、ガチガチガチガチ…」と言うと飛んでくる。その名も「ガチガチ」。
前回のイラン滞在でかわいがっていたアウチは、あっけなくお別れとなってしまったのだが、その後、留守中の新居と牛小屋を守っていたのがこのガチガチだった。

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ガチガチは砂漠で生まれたトルクメン犬だ。まだ一歳半ほどの雄犬で、元気いっぱい。普段は牛小屋を併設したわたしたちの新居の敷地内でひとりで番をしているけれど、本当は人に遊んでもらいたい盛りなのだろう。困ったことに、新居から徒歩20分のところにある砂漠人の母の家まで、頻繁に出かけてくるようになってしまった。母の家に寝泊まりしている砂漠人とわたしが、特別においしいごはんをやったりマッサージをしてやったり、不用意にかわいがりすぎだのだ。
トルクメン犬は基本的に本物の番犬だ。見知らぬ人や動物が通れば必ず吠えて威嚇するし、飼い主が出かけるときはその前を走って護衛のような役割を果たしている。砂漠では、羊を守るためにオオカミとも闘うのだそうだ。だから甘やかしは一切不要、どの犬も厳しくしつけられている。犬を飼ったことのないわたしが見ると、虐待じゃないかと思うほどの扱いだった。

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朝起きて顔を洗うために外に出ると、ガチガチが急いで駆け寄ってくる。そんなことが何度もあった。ガチガチは持ち場を頻繁に離れてしまうようになったのだ。そこでわたしはガチガチの首にロープを巻いて、徒歩で20分かかる新居まで連れて行くのが日課になった。ロープを巻かれると喜んで走るので、それがまたかわいいのだ。ちなみにトルクメンの町では、首輪をしたり飼い主に引かれている犬は一匹もいない。ロープを首に巻いたりする町で一番のモダンな飼い主を持って、ガチガチは嬉しかったに違いない。

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また会う日まで、悪さをせずに待っていてほしい。

ピクルス

毎週恒例の市場に買い出しに行ったら、あるおばさんが自家製のピクルスを売っていた。おばさんは小さなテーブルに色とりどりのピクルスをきれいなガラス瓶に入れて並べている。砂漠人はそれをしばらく観察してから、「彼女はとても賢い人だ。いつも斬新なアイディアで商売をしている」と言っていた。わたしは覚えていないけれど、夏には森のベリー類を摘んでそれを売っていたのだそうだ。
そして砂漠人はすぐに青果を売っているテントに戻り、大量のパースニップ、にんじん、なす、ブロッコリー、赤トウガラシなどを買い込んだ。3リットルくらい入ったビネガーのボトルも忘れずに買った。
家に戻り、野菜や果物の処理を一通り済ませた後、さっそくピクルス作りに取りかかった。そう、砂漠人は思い立ったらすぐに実行に移すタチなのだ。少し心配だったので、以前にピクルスを作ったことがあるのかと聞いたら「ない」と言ってる。酢や塩の加減など、大丈夫なのだろうか。わたしは完全に及び腰で、でも言われたとおり野菜を洗ったり皮を剥いたりした。そしてできあがったものは、このとおり。

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まだよく漬け込んでいないのに、すでにとてもいい味がしている。あまりにおいしいので、毎日食べて冬のあいだに食べ切ってしまいそうだ。
よくよく聞いてみると、砂漠人はいまは亡き父親がピクルスを漬けるのを、子供の頃によく見ていたそうだ。彼は漁師だったが、酢も自分で製造していたのだという。

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砂漠人にはまだまだ秘められた才能がありそうだ。

(…と書けと言うので)

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