2009-12

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帽子を編む

去年はひと冬かけてワンピースを編んで、独学で編むことに嫌気がさしてしまったので、今年は簡単に楽しく編み物をしようと思っている。すでにいくつか編んだのは、スウェーデンの冬に欠かせない「帽子」。気温が低いので、外出するときは必ず帽子を被る必要がある。そうしないと、そのときは平気でものちのち頭が痛くなったりするのだ。帽子を被る習慣のないわたしはついつい忘れがちなのだが、ヨーテボリではみんな被っている。

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耳当ての鎖は下に垂らしてほしいのだが、ひらひら揺れるヒモが気になるらしい

砂漠人が被っているこの帽子は、去年編んだものをほどいて編み直したものだ。厚みが薄いのが気になっていたので、ほどいた糸に細い糸を足して、二本取りで編んでみた。さすがに分厚くなって、防寒性は高まったようだ。

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編んだのは手袋じゃなくて、帽子です

この白い帽子は、二種類の基本的な編み方(ゴム編みとメリヤス編み)の組み合わせでできている。わたしは2~3日かけて編んだけれど、早い人なら数時間で編めるだろう。普段、白や黒の服を着ることはほとんどないので、白い帽子は新鮮だ。

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樹々もてっぺんが白かった!

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ある日の朝食

学校が休みに入って十日ほど経ったら、すっかり夜型人間になっていた。もともとわたしは夜型なので、学校や仕事がない限り、朝早く起きたりはしない。寝坊したいわけではないけれど、目が覚めないのだ。朝、お腹が空いて目が覚める人がいるそうだが(わたしの母)、そんな経験はこれまでの人生で一度もないように思う。ところが砂漠人もそうなのだ。砂漠人は深夜に仕事をしているので、ほぼ毎晩わたしは彼を送り出した後、眠りにつく。そして目覚めると、砂漠人が朝食の準備にかかっている…という具合だ。まるでグリム童話の世界です。
さて、今朝も遅い朝食を用意している砂漠人の脇で、窓の外がなんだか騒々しいのに気がついた。眺めてみると、家の前の樹々に降りかかるようにして鳥の大群が押し寄せていたのだ。家の前には森へとつながる茂みが続いていて、三階のうちの窓からはちょうどナナカマドのような赤い実をつけた樹々が見えている。鳥たちはその実を食べにきたようなのだ。

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何十羽も率いる大きな群だったと思う。一目散に木に飛びかかってくるような鳥もいれば、少し離れた高い木の上からじっと様子を眺めているだけの鳥もいる。いずれにしても赤い実をつけた木は、鳥たちの猛攻撃を受けてグラグラと揺れていた。木の実が赤いのは鳥が見つけやすいように…とはよく聞くけれど、この木がいつまでも赤いので不思議に思っていたところだ。今日を限りに赤みがすっかりなくなってしまった。

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そうこうしているうちに、砂漠人はパンを焼き上げて、ありがたい朝食のはじまりです。午後12時半。

päron cider

洋梨のサイダーは、スウェーデンの特産品だ。砂漠人はなぜかこれを「シャンパーニ」と呼んでいるが、シャンパンではなく、洋梨の香りがするさわやかなサイダーなのだ。
緑色のビンに入ってしっかりと封がなされたこのサイダーはスウェーデン中どこでも手に入るものだが、近所のスーパーではクリスマスの時期にだけ売り出される。今年もそれを待ち構えていたので、ついに今日、手に入れることができた。

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とても豊かな気分です

うちではこうして楽しまれている洋梨サイダーだが、遊びにきたお客さんの反応を伺う限り、お酒を飲む人はほとんど関心がないようだった。あまいだけではなく、その芳香には味わいがあると思うのだが、アルコールが好きな人にとっては風味よりアルコールなのかもしれない。
日本にいた頃、わたしは飲めないにも関わらず、よく「酒豪」だと勘違いされるので不思議に思っていた。顔つきなのか、態度なのか分からないが、大酒を飲みそうな印象があるらしい。実際は、ビールを2杯飲んだだけで帰り道で倒れる…というようなことを何度かやってしまったほど、イケない口だった。
ところが今ではビールを飲んだくらいでは、顔すら赤くならない。コニャックでさえ味わうようになった。だから体質を決める要素は、先天的なものだけでなく、生活習慣によるところが大きいのだとあらためて思う。
日本人には「飲めないから飲まない」と決めている人も多いけれど、生活習慣を改善してみるとまた違った人生が開けるかもしれない。とはいえ、飲ん兵衛になってもあまりいいことないか?

今週のくだもの

忘年会も、年賀状書きも、大掃除もない年末。雪が積もって寒いので森を歩くこともなく、うっかりすると外の空気を吸わずに一日が過ぎてしまう。
今日は二週間ぶりに市場へ買い出しに行ってきた。最近は二週間に一度、通うのが習慣になっている。冬の青果市場は他の季節よりも品数が少ないかもしれないが、それでもそれはほんの少しの違いで、新鮮な果物はいくらか見つけることができる。これらの色鮮やかな果物が、わたしたちの日々の活力を生み出すのに大きな役割を果たしている。

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今日はブドウを安く手に入れることができた。一箱たったの50クローナ(約650円)のこのブドウはトルコ産のサルタナで、強い甘みがある。こんな味は日本のブドウでは体験したことのないもので、浴びている太陽が違うんじゃないかと思えてくる。種のない小さな粒のきみどり色のブドウだが、上質な干しぶどうを連想させる、けれど生のブドウのさわやかさが詰まったおいしさだ。理屈はともかく、食べ出したら止まらず、その味覚にうなってしまう。

少し前に、この移民がやっている市場が来年の春に閉鎖されるというニュースを聞いた。とんでもないことだと思う。うちにとっては、この市場がなかったらヨーテボリに住む意味がないと言えるくらい、大事な場所なのだ。市場は青果市場だけではないので、法に触れるようなものを販売している露店もあるのかもしれないが、安価で質の良い青果を扱い、これほど人々の健康のためになる市場はヨーテボリ中どこを探しても見当たらないだろう。なんらかの形での継続を願う。さもなくば、ぼちぼちイランへ移住すべきかもしれない。

クリスマス・イヴ

この二ヶ月、スウェーデン語の勉強に明け暮れていたら年末になっていた。そして今日はクリスマス・イヴだ。
こどもの頃はツリーを飾ったりプレゼントをもらったり、クリスマス☆という行事を楽しんでいたように思うけれど、自分が成人してからは特別な思いは持たなかった。それでも身近な人とケーキを食べたり、プレゼント交換くらいはしただろうか。砂漠人のこどもの頃は食べるのに困るくらいだったし、イスラム文化なので、もちろんクリスマスなどなかったろう。ヨーロッパに来てから、家族と過ごすクリスマスを経験したようだ。
そんな二人にとって、クリスマスは特別な日じゃないね…とわたしは思っていたのだが、朝起きてみると砂漠人の様子が違う。なぜか朝から「クリスマス☆クリスマス」と言って盛り上がっているのだ。トルクメンの結婚式のビデオを見たり、踊ったりしながらも、オーブンで肉を焼き始めた。
スウェーデンのクリスマスは、フィンカ(シンカ)というハムを食べたりするそうだが、うちのグリルは牛肉だった。この日のためなのかどうか分からないが、砂漠人が数日前からこの肉を用意していたのは知っている。漬け汁を作ったり、サラダを作ったり、楽しそうに作業しているのを横目に、わたしは趣味の裁縫に勤しむことができた。そしてできあがったクリスマスの食卓はこのとおり。

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スパイスが上手に調合された漬け汁が肉全体に染み渡っていた。梨サイダーも加わり、食卓は普段よりちょっとだけ豪華だ。サービス精神の塊である砂漠人は「クリスマスなんて関係ないね」と言っているわたしをかわいそうに思ったに違いない。

さよなら砂漠

イラン旅行から戻って以来、二ヶ月が過ぎた。年の瀬も押し迫り、自分の脳に描かれた砂漠の景色もだいぶ色褪せてきている。ここで一旦、トルクメンの話はおしまいにして、場面はスウェーデンの日常に戻ります。長い間おつきあいくださり、ありがとうございました!

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Hosh (Bye)!

夜のユルタ

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砂漠では、夕日が落ちてから翌朝太陽が昇るまで、ユルタの外は闇となる。遠くの方にトルクメニスタンの町の灯りが輝いているのが見えるけれど、辺りの砂漠はただの暗闇だ。天気のいい日に限っては夜空に星が近く見え、またあまりに輝いているので星と星をつなぐ線が光って見えるようだ。
夜、ユルタの中では焚き火をして暖をとり、また灯りをとる。そのため昼間のうちに低木を集めてきて薪を作るのも一仕事だ。見渡す限り砂漠に低木は見当たらないのだが、砂漠人がハッサンと一緒にロバに乗って遠くのある場所から運んできていた。それを小さな斧で切りそろえる。

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広くて暗い砂漠の真ん中に、小さなユルタがぽつんと佇んでいる。恐ろしいような大自然の真ん中に、わたしたち人間が数人だけ、動物とともに過ごしているのだ。ユルタの中で焚き火を囲めば、それだけでとても幻想的、ロマンチックだ。そうして一日の疲れがじわりじわりと癒され、ときどき聞こえてくる羊たちの吐息を背に眠りにつく。その眠りは心地よく、とても深いものだ。かすかに流れる風を頬に感じながら、閉じた瞼には羊の群れが連なって写っている。
実際、ユルタで眠っている時間が最も癒されるときだったと思う。砂漠での生活は、美しくのんびりしたものといえども、慣れないわたしには厳しかった。羊の世話も日常の仕事も、わたしはほとんど携わることなく自由に過ごしていたにも関わらず、本当のことを言えば何度も逃げ出したいと思ったし、弱気な、または協調性を欠く態度を取って砂漠人を怒らせたりもした。「もうわたしは次回は来ない」とまで暴言を吐いたりしたけれど、砂漠から戻ってくると不思議と空想的な夜のユルタの風景が頭に浮かび、またそこに戻りたいというぼんやりとした気持ちだけが湧いてくるのだ。

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Sag bolung (Thank you).

ハッサン泣く

砂漠人とわたしが砂漠に滞在しているあいだ、三日間だけ羊飼いの奥さんが泊まりにきた。羊飼いが作ってくれる料理は塩気が強かったので、わたしは奥さんの料理に大満足だった。だがそんなおいしい日々もすぐに終わり、奥さんは町へ帰ることになった。
羊飼いがオートバイで奥さんを送ってくるあいだ、羊の群れはハッサン(仮名)が見ることになっている。もちろん若干15歳の少年にすべてを任せるわけにはいかないので、砂漠人とわたしは影で見守って(監視して)いた。

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羊飼いのオートバイが去って、のどかな時間が流れているなあ…と思ったのもつかの間、砂漠人がなにやら楽しそうに合図を送ってくる。「ヒッヒッヒ」などと言ってハッサンを冷やかしているのだ。
どうしたのかと思えば、小屋の中でハッサンが顔を隠してじっとしていた。どうやら泣いているようなのだ。まさか、とは思ったものの、そのまさかで、お母さんが町に帰ってしまって砂漠でひとりぼっちになり、さみしくなってしまったらしい。砂漠人がいくら冷やかしても泣き止むことはなく、さらにさみしさがこみ上げたのか、ついには伏せて泣き出してしまった。やはりハッサンは15歳の少年だった。強がったりふざけて見せたりばかりしていたけれど、素直でかわいいじゃないか!

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写真撮ってごめん

この後ハッサンは、ロバに乗って遠くへ駆け出していきましたとさ。

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ハッサンと子犬たち

羊飼いの長男ハッサン(仮名)に聞いてみた。
kumoki :「イランでいいと思うことはなに?」
ハッサン:「なーんにも。いいことは何もない。」
kumoki :「じゃ、イランで悪いと思うことはなに?」
ハッサン:「ぜーんぶ。いいことは何もない。」
本気なのかふざけているのか、少年の心は解読不可能だ。めんどくさい質問なので、適当にあしらったに違いない。それでもしつこく聞いているうちに、いいことは一つあると教えてくれた。それは、子犬たち。ハッサンにとって、子犬たちだけがこの世でいいものらしい。

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毎日、砂漠で父親の言いつけどおり働いているので、ハッサンの言うことを素直に聞いてくれるのは子犬たちだけなのかもしれない。羊もロバも番犬も一筋縄ではいかないが、赤ちゃんのときから自分でしつけている子犬たちは、ただただ従順だからだ。

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ちなみにトルクメンの犬は、子犬のときに耳を切り落とされる。基本的に砂漠の番犬なので、将来の闘いに備えて傷つけられやすい耳は最初から落としておくのだそうだ。動物愛護の立場からは非難されるかもしれないが、この犬たちは命がけでオオカミとも闘うのだから、長いあいだに培われた、無用な感染を防ぐための知恵なのかもしれない。
うちのガチガチも同じく耳が切れてます。

羊飼いの家族

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羊飼い夫婦とその親戚の子

今年から砂漠の羊たちの世話をしている新しい羊飼いは、奥さんと十代の息子二人の四人家族だ。とはいえ、親戚の子供や近所のこどももよく砂漠に連れてきている。こどもたちにとって、この広い大地と動物たちの世界で過ごす時間は、貴重な体験となるはずだ。町に暮らしているうちの甥や姪にもできるだけ砂漠を訪れる機会を設けたいと思っている。
羊飼いの奥さんは普段は町に暮らしているけれど、冬のあいだ 2~3ヶ月だけ砂漠のユルタに同居するそうだ。お父さんが羊飼いだったそうで、砂漠での生活にはなじみがあるのだという。ちなみに彼女の料理は、イラン滞在中食べた中で最もおいしかった。お米の炊き方から塩加減まで完璧だったので、わたしは彼女にトルクメン料理を習おうと心に決めたほどだ。また顔つきがどことなく日本人に似ていて、親近感が持てる。
羊飼い自身は前に書いたとおり、ムッラーの教育を受けたそうだが、ムッラーにはならず家業の羊飼いを選んだ。これまでは実家の群れの世話の手伝いをしていたそうで、砂漠で数百頭の群れを任されるのは初めてだそうだ。少し心配だが、砂漠人の観察によれば、彼は特別な技術を持っていて、遠くに散らばっている羊たちを特殊な合図で呼び寄せることができるのだそうだ。また前の羊飼いのように、怠け者ではなさそうだ。しかし驚くべきことに、彼はわたしより一歳年下なのだ。見た目では十歳くらい上かと思っていたのに(失礼)。

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二人の息子たちは15歳と13歳。背の低い方がお兄ちゃんで、わたしたちの滞在中、父親と一緒に砂漠に暮らしていた。羊の世話から料理まで一人前にこなしていたけれど、まだたったの15歳だ。大人のような険しい表情を見せるかと思えば、人懐っこい茶目っ気も持っていた。さすがに鍛えられているだけあって、実践力ではわたしは彼の足元にも及ばないのだが。
弟君はまだ学校に通っている。彼も羊飼いの仕事はできるそうだ。二人は顔がまったく似ていないのだが、兄は母親似、弟は父親似なんだろう。二人ともロバとバイクも乗りこなし、数百頭の羊の群れを監督したり、火を焚いたり、鶏小屋を作ったりすることができる。大人の言うことなどまったく聞かないが、たくましい。

ヤギの屠殺

以前から群れの羊やヤギを食べてはいたけれど、屠殺そのものについては触れる機会がなかった。ひょっとすると、それを見たらわたしが肉を食べなくなるかもしれないと砂漠人が配慮したのかもしれない(実際、わたしはそんなヤワではないのだが)。
そして今回わたしは初めて、家畜の屠殺現場に居合わせた。砂漠に滞在中のある日、羊を食べるということになり、羊飼いが群れの中から羊を選んでは砂漠人に見せていた。選ばれた羊はたまったもんじゃない。大きな群れの中から自分だけ引っ張られて、吟味されるのだから、キーキー言って逃れようとしていた。
何頭か物色した後、結局は一頭のヤギが選ばれた。決まった後は早かった。いつ殺すのだろうとわたしは羊飼いとヤギのいる方向を見たり見なかったりしながら過ごしていたのだが、一瞬「キイッ」というような軽い悲鳴が聞こえたと思って振り返ると、ヤギは既に息絶えていた。首の急所を切ったようだった。
その後はまず頭を切り落とし、別の場所に保管された。そして毛皮が剥がされ、肉屋に吊るされているような肉のかたまりにグンと近づいた。日本では肉が吊るしてある肉屋を見かけることはほとんどないかもしれないが、世界中の健全な肉屋では今でもそのかたまりが吊るされているはずだ。そして内蔵がていねいに取り除かれた後、肉を小さく切り分けていたように思う。
この作業はすべて羊飼いがやっていたが、そばで子供たちが肉を押さえたり、お皿を持ってきたりして見守っていた。そうやって、家畜の捌き方を覚えていくのだろう。羊やヤギを屠殺する日は、悲痛な表情をしている人は一人もいない。むしろ、ごちそうが食べられるのでみんなニコニコ、わくわくしていたように思う。動物たちはペットではなく、家畜として飼っているのだから当たり前なのだろう。

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内蔵はピカピカして美しい

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こうなるともう、いつものごちそう(chekdirma)だ

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みんな大喜びです

なぜ悪い母親になるのか

以前にも「不良の母親」と題して記事を書いたことがあるが、羊の中にはこどもを産んでもその世話をしない悪い母親がいるのだ。羊も人間も同じだなあと書いたのだけれど、今回、それについて新しい事実が分かってきた。

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悪い母親はこどもにミルクをあげないので、その足や首を紐で固定して動けないようにする。そうして、子羊がミルクを飲みやすくするのだ。とはいえ、実際はそれでも動いたりして子羊が乳を吸うのを邪魔するので手に負えない。さらに母親を押さえつけて授乳させるのが常だ。そのうち親子はお互いに慣れてきて、自然に授乳ができるようになる。
子羊にとってミルクは唯一の生きる糧なので、これがうまくいかないと生死に関わる。ある双子の子羊がいたのだが、母親の胸(乳腺)の一方が塞がっていたのに気づくのが遅れたため、一匹の子羊を死なせてしまった。吸っても吸ってもミルクが出ていなかったのでかわいそうに、餓死してしまったのだ。その子羊は大きな声で泣き続けていたので、わたしはのんきに「元気な赤ちゃんだなあ」などと思ったりしていたのだが、実際は必死に助けを乞うていたのだろう。

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さて、不良の母親についての新事実とは何だったか。それらの母親の悪行には思いがけない理由が潜んでいた。
砂漠では、三年続けて雇っていた羊飼いを解雇して、今年から新しい羊飼いを雇った。なぜ羊飼いを替えたかというと、前の羊飼いがあまりにも悪人だったからだ。羊飼いの仕事というのは基本的に羊の群れをキープすることだけなので、町から羊の餌や水タンクを運んだり、病気やケガをした羊を獣医に見せるなどの仕事は、砂漠人の弟たちがこなしている。その仕事の方がよっぽど大変なのだ。そのため砂漠に暮らす羊飼いとその家族は、水は使いたい放題、羊の餌も盗んで自分の所有する羊(隠れて持っている)にやり、またうちの群れの子羊を勝手に食べたり売りさばいたりしていた。そういう行為はうちの羊飼いに限ったことではなく、いわば彼らの常識のようなものらしい。なるほど、キープという言葉には「預かる」と「自分のものにする」の両方の意味があるではないか! そして去年まで雇っていた羊飼いは、うちが羊の群れのオーナーとしての経験が浅いのをいいことに、やりたい放題やっていた。またボスである砂漠人が遠く離れたスウェーデンにいることは、彼にとって雇い主の目を盗むために好都合だったろう。結果、去年は羊の数が見込みよりだいぶ少なくなり、いよいよ彼を解雇することになった。
そして今年の新しい羊飼いだが、彼はムッラー(*1)の教育を受けていると同時に代々羊飼いの家に育ったそうだ。砂漠人の弟が採用を決めた。彼の説明によれば、うちの群れの羊には不良の母親が多過ぎるというのだ。そしてしばらく観察した後に導き出した結論は次のとおりだった。
この群れでは、子羊が産まれると、羊飼いがそれを取り上げてしまい、母親が授乳や子育てをする機会を無理に奪っていたのではないか…ということだ。取り上げた子羊はどうしたかというともちろん、食べたり売りに出したりしていたに違いない。自然の摂理からすると、出産をした羊は常に子羊と一緒に過ごし、乳をやることで次第に母性を育んでいく。ところがその機会を奪われたために、母親はその自然な感情や行動に異常を来たし、次回以降の出産からこどもとどう向き合っていいか分からず、虐げてしまっているのではないか。
砂漠人はこの考え方に納得したようだった。わたしもなるほどと思った。以前にアフリカの象について似たような話を聞いたことがある。あるときから象が人間を襲うようになり、調べていったらその原因は人間にあったというのだ。人間による象の乱獲で親を失った子象たちは、本来なら群れて暮らすはずが孤独に育つことを余儀なくされ、その社会性が育まれなかった。そのため、本性にはなかったはずの「人間を襲う」という行動に出てしまったというのだ。
もちろん、新しい羊飼いが自分をアピールするために作り上げた話だという可能性もある。それが本当の原因かどうかは今後さらに見極める必要があるけれど、わたしたちがまたひとつ経験を積んだということは確かだ。羊の群れのオーナーには色々な経験と知恵が必要とされる。さもないと、狡猾な羊飼いにまんまとやられてしまう…羊というのはそういう世界でもある。

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ところでなぜ悪い母親になるのか。その原因はやっぱり、羊も人間も同じじゃないだろうか。

*1 イスラムの法・教義に深く通じた人に対する尊称(mullah)

羊の胎盤

ある朝、起きてユルタの外に出たら、二頭の羊が出産しているのが見えた。二頭とも、やはり群れから少し離れたところで出産し、その子羊をなめたり、立ち上がるのを見守ったりしている。

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産まれたての子羊は、動作がフニャフニャしている。自力で立ち上がるまでには数分しかかからないけれど、その後はしばらく母親の周りをヨタヨタ歩いている。お互いのにおいを確認したりしているのだろうか。母親のこどもに対するケアはなかなかのもので、産まれたての親子カップルに近づくと、母親は威嚇する。こちらを向いて、前足で地面をタンッと叩くのだ。

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羊は噛んだり蹴ったりしないので恐くない動物なのだけれど、母親羊に毅然としたその態度を示されたら敬意を払わなければと思ってしまう。

ところで出産している羊のそばで番犬たちがそれを見守っているのはなぜなのか、どうして犬たちは誰もいない砂漠で羊にぴったりと寄り添っているのか。答えは、大正解のコメントをいただきました。そうです。犬は羊の胎盤を食べようと待ち構えているのです。子羊を産んだ後に出てくる胎盤をガブガブと勢いよく食べているのを偶然見かけて、「なるほど、犬には犬なりの理由があるのだな」と納得したのだった。

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二頭の出産を待つ、二匹の犬たち。

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一頭の出産に二匹の犬。どちらが獲物を得るだろうか?

そういえば、人間でも出産の際に胎盤を食べる習慣のある人がいるそうだ。醤油をかけて食べたりするらしくぞっとしないけれど、これを見た後では分からなくもない。食べたくないけれど。

羊の出産

今年の秋、イランに滞在したのは六週間だったのだが、それはちょうど羊たちの出産時期に重なっていた。砂漠を訪ねるたびに子羊が産まれていたので、それはそれは楽しい気分だった。最初の出産に居合わせたのは、砂漠から帰ろうとしたある夕方だ。日が落ちると辺りは真っ暗なので、わたしには群れの位置がなんとなく分かる程度でしかないのだが、どういうわけか羊飼いには群れの動きが逐一感じ取れるようで、「あっちで今、羊が出産した」と言う。

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みんなで近寄ってみると、そこには産まれたての双子がヨタヨタしていた。一匹はすでに立っていて、もう一匹はまさに今、立ち上がろうとしていた。

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砂漠人の弟が性別を確かめたら、両方ともオスだった。メスだったら即、わたしの名前をあてがうところだが、さしずめ自然の力は厳しい。この二匹は砂漠人とその弟を象徴しているのだろうと、わたしは密かに感じ取った。

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羊は基本的に群れて暮らすと前に書いたが、出産をするときは、群れからほんの少し離れたところでひっそりと産んでいるようだ。おもしろいのは、ある羊が群れから少し距離を置いて産み始めると、番犬が必ずその側に寄ってきて、また少し離れたところで見守っている。随分、面倒見がいいんだなあと思っていたら、あるときその行動の理由のひとつを発見してしまった。番犬たちは、ただ単純に出産する羊をガードしている訳ではなかったのだ。

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番犬が出産している羊に近づくその理由については、次回書きます。乞うご期待(分かった方は、ぜひコメントください)。

Time Flies!

光陰矢の如し。師走も半ばだ!
今日、スウェーデンでは「ルシア」という日だったそうだ。聖ルシア祭は、冬至を祝う古来からの民間信仰とキリスト教の伝統が習合されてできた慣習のようで、歴史はそれほど長くないと言われている。なにをするかというと、女の子が白いドレスを着てロウソクの冠をかぶり、サンタ・ルチアなどを歌うのだそうだ。そして lussekatter と呼ばれるサフラン入りのパンや pepparkakor(ジンジャーブレッドクッキー)を食べ、glögg というスパイスやアーモンドを入れたワインを飲む。暗い北欧の冬に、パッとした光を投げ込む大事な行事なのだと学校の先生は話していた。

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ヨーテボリ市内の大通り。クリスマスシーズンでもまったくパッとしない

さて、イラン旅行から戻って以来、わたしはスウェーデン語のクラスについていくのに四苦八苦していたのだが、このところ状況はさらに深刻で、ついにはブログの記事を書く時間すらなくなってしまった。おそるべきインテンシヴ・コースである上に、長い休みを取っていたりしたものだから、わたしは実質4ヶ月しか授業を受けていない。けれど、なんとかギリギリで試験をパスすることができた。この試験に通ると、移民が身につけるべき最低レベルをマスターしたことになるそうだ。実際、スウェーデン人とコミュニケーションをとるのはまだ非常に困難なのだけれど…。
試験も終わり、あと三日で冬休みに入る。砂漠についてまだ書きたいことがいくつか残っているので、そろりそろりと再開したいと思っています。

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砂漠人に学ぶナチュラルライフ
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