2010-03

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生きる(食べる)

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『生きる』と『東京物語』(その3)

スウェーデンでは、労働者の夏休みは基本的に四週間あるそうだ。スウェーデン社会は日本とは異なるしくみで成り立っているので単純に比較するのは難しいけれど、少なくとも働く人々にとって、家族と過ごす時間は十分に保障されている。夜遅くまで会社に残っているとか、仕事帰りに同僚と遊び歩くような生活習慣はないそうだ。人々の生活にとって政治的に大事なのは、国会よりも労働組合なのだと砂漠人は常々言っている。
『生きる』の最後では、ガンで亡くなった市民課長、渡邊勘治の葬式に出席した地元政治家(市役所助役)や役所の上役、市民課の同僚が座敷で話をする場面が続く。高圧的な助役がいる間は誰もが彼の機嫌を取るので、渡邊の功績(生きることに貪欲になった彼は市民のために尽力し、公園をひとつ作ったのだ)は政治家のおかげだったとへつらっている。助役が帰った後も話は続くのだが、ぽつりぽつりとそれぞれが渡邊の最期の姿を思い出していくうちに、やはり公園の建設は渡邊の功績だった、彼はすばらしい仕事をした、役所のしくみはおかしい、などと事の本質に迫っていく。酒の力を借りて、それぞれが心の奥にしまってあった本音を吐き出し、明日からは自分たちも渡邊のように生きよう、本当の仕事をしようと息巻くのだった。ところが翌朝、酔いが醒めて現実の役所の仕事に戻った同僚たちは、それまでとまったく変わりない形式主義的な仕事を続けていた。これが、クロサワが58年前にすでに危惧していた日本社会の姿だ。
犯罪組織を裏に抱える政治家と、その前で萎縮して生きている市民たち。これは砂漠人にも前々から指摘されていた日本社会の姿とぴったり重なった。
まだまだ語るべきテーマはありそうですが、ひとまずここで、完。

『生きる』と『東京物語』(その2)

人々の生活スタイルが変容しつつある現代の日本において起こってきた問題について、黒澤明も小津安二郎も映画作品の中でそれを正確に示唆している。家族のつながりが疎遠になるなど、人間らしい生活が失われていくことに対する危惧がよく表現されている。50年以上前から指摘されていた日本の社会問題は、今もちっとも変わっていないのかと驚いた。そしてこれらの映画を今まで観ていなかったことを後悔している。わたし自身もまったく同じ問題を抱えて過ごしてきたと思うからだ。
都市生活者の日常に時間的余裕がなかったり、人々が物質的な豊かさに執着しやすかったり、人と人とのつながりが薄れてしまいがちなのは、日本に限らずどこの国でも同じだろう。でも日本の場合は、労働者が仕事とそれ以外のことにかける時間の比率が、極端にバランスが悪いように思う。あるいは家族と過ごす時間が極端に少ないようにも思う。長時間労働は当たり前だし、休暇の日数も驚くほど少ない場合が多い。

話はそれるけれど、インターネット上で悩み相談(あるいは質問)をする日本のサイトがあって、そこに大学生の娘を持つ母親が問いを投げているのを読んだことがある。問いの内容は「娘が、女はどうせ結婚して主婦になるのだから、わざわざ就職する必要はないと言っている。どうしていいか分からない」というものだった。その問いに対して誰でも答えを書き込むことができるようになっていて、当然大勢の人が匿名で書き込んでいたのだが、ほとんどの答えは「あなたの娘は甘えている」「そんな怠け者の娘を育てたあなたの責任だ」「親子とも社会に出て苦労を積むべき」という主旨の返答だった。読んでいてとても憂鬱になったのだが、その中で一人だけ、「娘さんの思うとおりにすればいいのではないか。金で雇われるだけが人生とは思わない」と書いている人がいた。その答えを見つけて心が晴れたと同時に、99%の人が書いた意見を読む限り、日本の社会がどういう精神性によって築かれているかも分かったような気がした。

人間として社会貢献をすることは立派なことだけれど、従順な労働者になることと社会貢献は別のことだと思う。自分の人生を尊重し、家族や地域の人とのつながりを重視すればこそ、人道的な社会を築く強固な基盤として個人が存在しうるのではないだろうか。それよりなにより、せっかくこの世に生まれたのだから、人間らしく暮らした上で人生の楽しさや辛さを存分に味わうべきだと思う。ところが残念なことに、「働くロボット」として人生を過ごしている日本人は大勢いるんじゃないだろうか。少なくとも『生きる』の市民課長はそうだったし、『東京物語』で尾道から東京に出て行ったこどもたちもその気がある。そして仕事とお金に執着するあまり、大事な家族との関係がいつのまにか疎遠になっていくのだった。その3 につづく。

『生きる』と『東京物語』(その1)

最近、DVDで映画をよく観るようになった。テレビがアメリカの番組ばかり放映して、それがつまらないのも一因だ。うちでは基本的にテレビを観ることはないけれど、夜中に仕事に出かける砂漠人が眠りにつく前の、夕方のひとときだけ、テレビをつけることがある。
DVDは図書館で借りてくる場合が多いのだが、中でも黒澤明の『生きる』(1952)と小津安二郎の『東京物語』(1953)が強く印象に残っている。どちらも昭和二十年代に作られた作品で、似たようなテーマが根底にある。
『生きる』は、定年を目前にした役所の市民課長が胃がんに罹っていることを知って、死んだように時間を過ごしていたそれまでの人生と決別し、本当の意味で生き始めるという話だ。妻を早くに亡くし、一人息子のためにと思って長年働いてきたけれど、役所の仕事は形式主義的で、決して市民のために尽力するような仕事ぶりではなかった。そんな環境でただ時間をやり過ごしてきたけれど、死を目前にしてあらためて生きることに貪欲になる市民課長の姿が力強く描かれている。市民課長は、『七人の侍』ではリーダーだった志村喬が演じているのだが、その演技のおもしろさ、説得力と言ったらない。彼の顔の表情を追っているだけで、泣いたり笑ったりしてしまうのだ。
『東京物語』は、広島の尾道から東京に出て所帯を持ったこどもたちが、数日のあいだ年老いた両親を東京に迎えるという設定だ。開業医の息子も美容院経営の娘も仕事に忙しく、両親とゆっくり過ごす時間が持てない。二人を泊める部屋にも余裕がないので、両親だけで熱海へ旅行へやったりしている。母親は尾道へ戻ってすぐ亡くなったのだが、その葬式においても自分たちの都合で身勝手に物事を進めていく。ただ、そんな中でも一人、血のつながりのない戦死した息子の奥さんだけが親身になって接してくれるという、情けない都会人の姿が浮き彫りにされている。
どちらの映画も泣けるほど悲しい。わたしは日本人のおとなしさに感心すると同時に、その非力さには観ていて腹が立ってきた。つづく。

パンケーキ

友人が『暮らしの手帖』を貸してくれた。お母さんが日本から送ってくれたのだそうだ。暮らしの手帖を読んでいるお母さんは、古風で理想的だなと思う。
中でも「ごはんになるパンケーキ」という特集が参考になった。スウェーデンに来てからパンケーキを作って食べていた時期もあったけれど、これを読むまですっかり忘れていたのだ。冷めてもおいしい粉の配合が書かれていて、そのとおり作るとしっとり柔らかいパンケーキができる。牛乳と生クリームを半分ずつ入れるのがコツなのかもしれない。

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小麦粉100gで直径10cmほどの小さいパンケーキを十枚ほど焼くことができる。ニュージーランドではこれをパイカレットと呼んでいたと記憶している。フライパンに生地を流して、表面にプツプツと穴が空いてきたらひっくり返す簡単なおやつだけれど、付け合わせを工夫することで朝ごはんにしたりお弁当にしたりできる…という特集だった。静かな夜に薄い小さなパンケーキをていねいに焼く。予想以上の楽しみだ。

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わたしはどら焼きにして友人と食べました

餡子のおいしさは、日本人にしか分からないようだ。こんなに安ぎを与えてくれる甘さはないのにね。

ピザの日

今日は周期的にやってくるピザの日だった。たくさん焼いて、思い存分食べたら、残りは冷凍する(ので、ご心配なく)。そして冷凍ピザは好きなときに温めて食べられるから手軽だし、買ったピザとは違い、吟味した材料で作ってあるので安心だ。具材の種類は毎回、違っている。なにしろ一度にたくさん焼くので、ハムやチーズなどを質のいいものを少しずつ集める必要がある。最後にマッシュルームなど新鮮な野菜を求めたところでピザの日を迎えるというわけだ。

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今回は特製トマトソースにハム、パイナップル、マッシュルーム、ケイパー、パプリカをのせた。いつもより種類は少ないけれど、熟したパイナップルと新鮮なマッシュルームが混ざり合ってとてもいい香りがしていた。ハムの塩気とケイパーの酸味で甘さもうまく調和したようだ。どんな具材を使っても味と食感のバランスをとるのが砂漠人は上手なのだ。

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石焼ピザオーブンと普通のオーブンを併用するようになってから、調理時間がぐんと短くなりました

bolo de fubá 再び

今日は砂漠人の誕生日だった。でも砂漠人にとっては、特別な日ではない。誕生日を祝う習慣がないと言ってしまえばそれまでだが、本人に言わせると「毎日が誕生日」なのだそうだ。つまり、毎日がスペシャル♪という意味です。わたし自身は砂漠人ほど毎日を精一杯生きているかどうか怪しいところだが、今日は特別なケーキでもてなそうと思っていた。選んだのは以前にブラジル人の友人に教わったボーロ・デ・フバー
初めて焼いたときは、オリエンタルショップで買ったポレンタ用のとうもろこし粉を使ったのだが、焼き上がりが友人の作ったものと違って膨らみが足りなかったので、その原因をいくつか考えていた。友人はその後、粉が違うんじゃないかと言って、ブラジルから持ってきたとうもろこし粉(フバー)を1キロくれたのだ。今日は本物のフバーを使ったら、以前の倍くらいの膨らみで焼き上がった。

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やはり粉が違ったようだ。フバーはコーンフラワーよりも粒がきめ細かく、小麦粉のように滑らなのだ。一方、ポレンタ用のコーンフラワーは砂のような堅めの粒の集まり。

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左がフバー、右がポレンタ用のコーンフラワー

四角い卵豆腐型で焼いたので、中央部分は十分に膨れたけれど、端の部分の膨らみはやはりいまいちだ。ふっくらケーキを焼くためにも、中央に穴の開いたエンゼル型がほしいなあ。

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自家製のプラムジャムをのせて

お誕生日おめでとうございます。

季節の変わり目

春は近づいているようだ。固く積もった雪が少しずつ溶けて、緑の芝生や木の芽などが顔を出している。
スウェーデン語のクラスは開講から一年が経ち、クラスメイトたちはそれぞれの進路に分かれていった。わたし自身は結局、職場での実習訓練はしなかったけれど、来月から別のコースで引き続きスウェーデン語を学ぶ予定だ。成績はよかった。子供の頃から学校の成績は良い方だが(自慢)、今回の勉強に関してはどうも自信が持てない。スウェーデン語がどのくらい使えるようになったかというと、日常会話くらいだろうか。それでも実際に用事をこなす必要のあるときは、まだ英語を使っている。英語が流暢に出てくるのだから仕方がないじゃないか!(誇張)
ところで先月、ある企業で実習訓練をするための面接を受けてきた。実習先の仕事は、日本でこれまでしてきた領域に関わる内容だったので、雇ってもらえるならぜひ働きたいと思っていたのだ。わたしのたどたどしいスウェーデン語だが、尋ねられた質問はほとんど英語を使わずに答え、我ながらかなり健闘したと思う。そして面接が終わった後、面接官は「まだ十ヶ月しかスウェーデンに住んでいないのに、スウェーデン語がとても上手ですね」と言ってくれだのだが…。結果はあえなく「不採用」だった。その理由はただひとつ、「スウェーデン語の能力に問題あり」だという。コミュニケーション(デザイン)の部署だったので、もちろん納得したけれど、職場デビューはまだまだ先になりそうだ。デザインという仕事は、一般的には感覚的能力があればできると思われているかもしれないが、実際はとても知的能力が問われるものである。言葉ができなければコミュニケーションデザインは難しい。

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砂漠人は、景気が上向けばすぐにでも仕事は見つかるといって励ましてくれる一方、わたしが働きに出ることにはあまり賛成じゃないようだ。わたしも働くのはいいけれど、人に雇われるのは本当はもう嫌なのだ。

ライチのバニラシロップ漬け

少し前に市場で買った山盛りのライチは、結局ほとんどを生で食べてしまった。うちでは食べ物を捨てることはめったにないので、たまにお客さんがきて食べ残しなどをためらいなく捨てているのを見るとハッとさせられる。以前はわたしも同じことをしていたはずなのに、いつのまにか意識が変わったようだ。
ライチは楊貴妃が好んで食べたと言われている。楊貴妃と言えば、わたしは高校生のとき漢文の授業で白居易の「長恨歌」を暗唱したことを思い出す。楊貴妃のように艶かしかった漢文の先生は、ご自身も高校のときに長恨歌を覚え、何年経っても同窓会でみんなで暗唱しているのだ…と話していたが、残念なことにわたしはもう一行たりとも思い出せない。同級生たちは今でも覚えているのだろうか。まさかね。

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ライチはいくらかをシロップ漬けにして保存しておいた。今回のシロップは少し工夫をして、バニラビーンズ、クローブ、ベイリーフ、レモンを煮込んだものだ。さっぱり甘いこのシロップ漬けのライチは、白玉アイスクリームに添えるとなかなかのデザートになる。

トレーニング再開

ひさしぶりに森に入った。おそらく、数ヶ月ぶりじゃないだろうか。今年の冬はあまりにも寒かったのと、森の地面が凍結しがちで滑って危ないので、森でのトレーニングを休んでいたのだ。そしてようやく今日、春が来るよりひと足早く、トレーニングを再開した。
家の裏山にあたる森には、一周1.25kmの周回コースがある。アップダウンがあるので、歩いて一回りするだけでもいくらかの運動になる。わたしたちのプログラムは 4周で1セットが標準だが、だいぶ雪も積もっているし、初日は1周するだけにとどめた。トレーニングは少しでもゆっくりでも、継続してやることで効果が現われると思う。

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すっかり落ちてしまったポパイの筋肉を再建しよう。砂漠人はすっかり太くなってしまったお腹をなんとかしよう。

日本人発見?

先日、スーパーで買物をしてレジに並んでいるとき、砂漠人が「あそこにいるのは日本人じゃないか?」と言う。見てみると、二人組の東アジア系の女の子がちょうど店内に入ってキョロキョロしているところだった。ルイ・ヴィトンのバッグを持って、質の良さそうなブランド物のダウンジャケットを着こなし、服装はどことなく輝いている。化粧もしているし、ちょっと内気そうだし、どこからどうみても日本人じゃないか。
そこでわたしは砂漠人に支払いを任せて店内に戻り、彼女たちに話しかけることにした。ヨーテボリで日本人にばったり出会う確率はかなり低いのだ。ましてや住宅街のスーパーで出会うなんて、この先もないかもしれない。
彼女たちの後を追い、1メートルまで近づいたところで「あっ」と思った。どうも日本語以外の言語で会話をしているようなのだ。けれど猛突進していった手前、声をかけるしかなく「ハロー、日本から来たんですか? 韓国ですか?」と英語で話しかけてみた。すると彼女たちは "We came from China." と言ったのだ。驚いた。そしてあらためて彼女たちの髪型や服装を見つめてしまった。やはり、どこからどう見ても日本人じゃないか!
しばらく話しているうちに、彼女たちは西安からの留学生で、一年間スウェーデンに滞在して英語を学んでいるのだということが分かった。最初はてっきりわたしと同じく移民だと思ったので、「なぜ学費を払っているの?」などとトンチンカンな質問をしてしまったのだが、つまるところは中国からの私費留学生だったという訳だ。
まだ来たばかりで友達がいないというので、携帯番号を交換して別れた。かなり長いあいだ話をしていたので、砂漠人もてっきり日本人だったと思ったようだ。
帰り道、なんともいえないショックに何度も見舞われながら考えた。そうだった。世界で一番お金を持っている旅行者はもはや日本人ではなく、中国人にとって代わられたのは既に数年前のことだった。情報としては知っていたけれど、体験してみると少し衝撃的だ。そうだった。わたしの持っている日本人像は、80~90年代の日本人だったのだ。ブランド物のバッグを持ち、高い服や靴を着こなしていたのはひと昔前の話。今の日本人は zoff のメガネをかけて、UNIQLOを来ているのだ。カルチュラルショック!

客帰る

しばらく賑やかだった家の中が、また静まり返っている。妹たちは今朝ついに帰ってしまった。

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砂漠人にとってはお客さんを迎えて楽しく過ごすのが何よりの楽しみなので、今回はトルクメンの家族が訪ねてきてくれてうれしかったに違いない。わたしも砂漠人の親戚と交流があるというのは心強い。彼らとはスウェーデン語や英語でコミュンケーションできるのもありがたい。スウェーデン語を覚えると同時に、わたしのトルクメン語はすっかりどこかへ飛んでしまったからだ。
まだ雪が降ったりしているので、みんなでどこかへ行くということも特にないけれど、家で食事を作ってみんなで食べる。トルクメンの伝統では、お客さんをレストランに連れていくなどは、失礼に値するのだそうだ。あまり気の利かないわたしなので色々と至らないことがあったと思うが、妹家族は兄の砂漠人には決して文句は言えないそうだ。トルクメンの伝統に感謝である。

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近所のスーパーで砂漠人について回るこどもたち

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砂漠人を追いかけ回すこどもたち

砂漠人はこどもたちのハートもいとも巧みに掴んでしまう。人の心理を読むのは得意なのだ。恐るべし。

グリル

人数が増えると、なによりも楽しみなのは食事だ。今回は砂漠人の妹がチェクドゥルマを作ってくれたり、わたしがカレーライスを作ったりした。ご飯を食べ飽きた昨晩は、チキンを野菜やマッシュルームと一緒にグリルした。チキンにはすっぱいザクロのスパイスをたくさんすり込んだので、塩気と酸味が絶妙だ。

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砂漠人と同じ町出身のトルクメン

これだけ食べた後でまだ夜食を食べるわたしは一人で「食欲の冬」を越えようとしている。妊娠でもしているんだろうか?(ジョークですよ)

自家製パン

スウェーデンに住んでいる砂漠人の妹家族が、週末から遊びに来ている。こどもは女の子二人なので、家の中がいつもとまったく違った雰囲気だ。わたしの兄弟は弟が二人だし、弟のこどもたちは三人とも男の子なので、姉妹という感覚がじつは今だによくつかめない。
驚いたのは、彼女たちが決して物怖じしないということだ。でもそれは女の子だからではなく、おそらくスウェーデンで育っているからだろう。日本のこどもたちは、特に初対面の人には恥ずかしがる傾向があると思う。わたしも、今では考えられないけれど、こどもの頃はひどく人見知りをしていた。トルクメンのこどもたちも、恥ずかしがる傾向がどの子にも見られた。でもスウェーデンのこどもは違うのだ。道を歩いていても、平気で大人に話しかけることができる。自分に自信を持って行動できるよう、こどもの頃からしつけられているのだと砂漠人は言う。アジアのこどもにはそれが欠けているのだそうだ。

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さて、砂漠人の妹がうちでパンを焼いてくれた。それは柔らかくてとてもおいしいイラン風のパンだ。あまりに上手に焼いたので、とても驚いた。こんなおいしいパンはまだヨーテボリで見たことがないので、パン屋を開けば大繁盛するんじゃないだろうか。そのときのためにこれを焼くテクニックについては伏せておかねばなるまい。

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こうやって形をつくるのも知らなかった!

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焼き上がったパンは食べやすい大きさに切り分けておく。一度冷凍したものを解凍して食べても柔らかいままなのだそうだ。砂漠人の焼くパンが解凍した後は固いのに閉口していたので、このパンの焼き方はなんとしてでも習わなくては!

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砂漠人に学ぶナチュラルライフ
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