2009-11

リハビリセンター

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新居から車で五分くらいのところに、約1ヘクタールの土地がある。町の外れなので、その敷地の西側は何もない大地がカスピ海まで延々と続いていて、また南側には5000m級の山脈が遠くにそびえている。この敷地は周りをブロック塀で囲んで、大麦・とうもろこし・干し草など羊の餌を保管する場所として使っている。また砂漠から弱った羊を連れて帰り、特別な餌を与えて元気を回復させるための「リハビリセンター」としても機能している。羊の群れを保持するためには、餌を確保したりその他のケアをしたり、年間計画(と実践)がなければうまくいかないのだ。砂漠人は弟たちと試行錯誤しながら、この五年でここまで群れを大きくしてきた。

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DSC_0775_20091112074128.jpgブロックも壁も自家製です

羊の社会にも、妊娠したり病気やケガをして、群れについていけなくなる羊が常にいる。羊は群れて暮らす動物なので、決して単独行動は取らず、どんな場合でも群れについていこうとする。しばしば、群れについていけない小さなこどもを置き去りにする母親がいるほどだ。また砂漠では、群れは毎日数キロメートルもの距離を移動しながら草を食べている。相当な運動量なのだ。
リハビリセンターでは、砂漠のように多くの距離を移動しなくてすむ上に、特別な餌を用意している。弱った羊には、運動量を減らして栄養のある食事を与えるというわけだ。また屋根と塀があるので夏は涼しく、冬は暖かい。ただし、気をつけなければならないことがある。砂漠から連れてきた羊は、たくさん運動し、野生の草を食べて育っているので、栄養価の高い餌を急に与えると、消化し切れずに腸が詰まり、死んでしまう恐れがあるのだ。リハビリセンターに連れてきたら、初めのうちは注意深く見守る必要がある。
そうして羊たちは、しばらくの間ここで英気を養い、再び砂漠へ、群れへと戻っていく。

DSC_0596.jpgリハビリセンター門前。ここは4匹の番犬が守っている

DSC_0605.jpg東側には町が見える

DSC_0606.jpg西側、カスピ海に沈む夕日

無花果・柘榴・桃

砂漠人の母の家には、イチジクとザクロとモモの木がある。どれも二階建ての屋根に届きそうな高さで、たっぷりと実をつけていた。無花果と柘榴は昔から植えていたもので、桃は数年前、砂漠人がスウェーデンから持ち帰った種を、お母さんが大事に育てたのだそうだ。

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桃は特に見事な出来映えで、市場でもこんなにおいしいものは見つからないほどだ。ところがあまりにおいしいので、近所の子供たちがこっそり(または堂々と)もぎ取っていってしまうのだ。見張り番のお母さんが大声で怒鳴っても、まったくおかまいなし。桃は見る見るうちになくなってしまい、砂漠人とわたしはかろうじて一個だけ、食べることができたのだった。

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ザクロも然り。日本のものとは違い赤くて甘いザクロなのだが、大きくなる前にもぎ取られてしまうので、食べようと思っても手の届くところには小さい実しか見当たらない。トルクメンの子供たちは(うちの甥や姪もそうなのだが)、概して大人の言うことを聞かないのだ。非常に独立心が強く、実際自立しているのだけれど、憎らしい悪ガキでもある。

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お母さんは、砂漠人とわたしには特別に庭の果物をもてなしたかったようで、毎日「なくなる前にどんどん食べなさい」と促してくれた。それに答えるように砂漠人は、最後の日に木に残っているザクロを一人で平らげたのだった。

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イチジクの木は植えている家が比較的多いので、被害は少なかったようだ。ちょうどラマダンの時期に重なったので、少しずつもいで、日没後の最初の食事の際に食べていた。どの果物も、完熟のものをその場でもぎ取って食べるので、格別のおいしさがある。

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三種類の木が立ち並ぶ砂漠人の母の庭。無花果の後ろには、桃と柘榴が生えている。甘い甘い果実を味わえるはずなのに、近所の子供という天敵が邪魔をする。なにかいい対策はないものだろうか。

子犬

チーズおじさんとの後日談。
わたしが犬に噛まれたために、隣町の医者まで三回もワクチン接種に行ったのだが、ドクターには「最後の日までに、噛んだ犬の屠殺処分を希望するかどうかを決めるように」と言われていた。噛んだとはいえ、こちらにも非があると思ったし、ましてや知り合いのチーズおじさんの番犬を殺すなんてとんでもないとわたしは考えていた。
そして最後のワクチン接種の前日に、わたしたちは再びチーズおじさんを訪ねた。噛まれたことで警戒心が強くなったわたしは、なんとなく恐くて車から降りずにおじさんと砂漠人が話をするのを見ていた。どう話をつけるのかなあ…と見守っていたけれど、穏やかに世間話をしているように見えた。砂漠人も犬を殺す気は初めからないようだった。ウィルスを持っている犬は、人を噛んだらその約10日後に死ぬのだそうだが、犬が死んだという事実はなかったし、予防接種をしているということも聞いていたので、おそらくその確認をしただけだろう。
しばらくすると、砂漠人が車から降りてこいという。どうしてもというので外に出たら、チーズおじさんの息子が小屋の下に手を入れて、ゴソゴソと何かを取り出した。それはなんと、生まれたての子犬だったのだ。

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まだ目も開いていない、大きめのモルモットのような動物。こんな小さな犬は初めて見たので、生まれたときはこういう形をしているのか! と驚いた。子猫のようにゴツゴツ、フニャフニャした感じはなくて、柔らかい毛がふさふさとしているけれど、丸々として重量感のある、なんともいえない手触りなのだ。

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この二匹は、チーズおじさんからのプレゼントだという。わたしたちは旅行者なのでいただいても実際困るのだが、これほどかわいい動物を一度手にしたら、手放すわけにはいかないだろう。現金なわたしは遠慮なく、満面の笑みでお礼を言った。こわばっていた顔が喜びで豹変していたに違いない。ちなみにこのプレゼントは、番犬がわたしを噛む前からおじさんが約束していたそうだ。こんな喜びを与えていただいて、本当にありがたい。二匹を胸に抱えて、家路に着いた。

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DSC_0822.jpgまだ目が開いていないみたい!

宗教や慣習について

イスラムについて、わたしは語れるほどの知識も経験も持ち合わせていない。けれど、イスラム世界のひとつであるイランのトルクメンの生活を経験してみて、宗教や慣習について、思うところを書いておきたいと思った。その理由のひとつは、コメントにもいただいたように「イスラム世界は想像もつかない」という印象が日本人にとって最も一般的だと思うからだ。ましてやイスラムを思うときには、大勢で地面にひれ伏して祈っているイスラム教徒の姿、あるいは「アッラーフアクバル」と叫びながら自爆テロを実行するイスラム教徒(飛躍しすぎか?)の姿が頭をよぎるのではないだろうか。わたし自身、砂漠人に会う前はそういう印象を持っていたし、イスラムに対する肯定的な要素はほとんど知らなかった。でもそれはテレビの見過ぎであり、日本や欧米のメディアがイスラムについて完全に偏った報道の仕方をしているからだと、今では思うことができる。たとえば、「イスラム過激派」という言葉がやたらに報道される。イスラム自体を知らない人間に対して「イスラム過激派」を連呼すれば、彼らの無意識に「イスラム=過激派」という印象を次第に刷り込むことになると思うのだ。そして実際、そうなっている。
それはさておき、砂漠人の母の住む町には、イスラム教徒のトルクメンしか住んでいない。今回はそこで、ラマダンやその後のお祭り、結婚式など特別な行事を親戚の一人として経験することができた。もちろんすべてが初めてのしきたりだったので、共感を覚えたとは言えないけれど、それがイスラムゆえに特別なものだとも思わなかった。
イスラム教徒であれ、キリスト教徒であれ、仏教徒であれ、ユダヤ人であれ、日本人であれ、誰であれ、彼らはみな同じ人間だ。宗教や慣習というのは多少の差はあれども、基本的には人間が生きる上で必要とされる、心のあり方や儀礼の行われ方だと思う。そしてそれは、それぞれの風土に根ざしたものであるはずだ。だからその一部だけを切り取って「こんな変わったことをしている」と語るのは、無意味だと思うのだ(世界中の人間はそんな無意味なことを平気でやっているけれど)。あくまでも大事なのは、イスラムという背景を持った一個人が、または日本に生まれ育った一個人が、人間としてどう生きているかだと思う。具体的には、家族や親戚とどうつき合っているか、社会とどう関わっているか、どんな生活様式なのか、何を食べているか、などなど。そういった視点から見ると、トルクメンの生活は、わたしが知らないけれど憧れる「古き良き日本」に近いものに思えて仕方がない。未知の世界のイスラム教徒の生活とはとても思えないのだ。

──
抽象的な話になりましたが、わたしがこれからラマダンやその他のイスラム教について書く際には、上のような考え方に基づいて書いていると理解していただければ幸いです。ご意見などいただければもっと幸いです。

犬に噛まれた!

ある日の夕方、オートバイで海までドライブした帰り、砂漠人の知り合いの「チーズおじさん」の家に立ち寄った。彼はトルクメン語で「チーズおじさん」と呼ばれているのだが、特にチーズを作っているわけではないそうだ。

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その家は、集落と海のあいだの広大な土地にポツンと存在しているので、人が通りかかることはほとんどない。偶然寄ってみたらおじさんは喜んでくれたが、日本から来た砂漠人の新妻(わたし)を見て何度も「若い。若過ぎる。」と言っていた(苦笑…)。そしてたくさん飼っているヤギも見せてくれた。ヤギというのはヒツジと違ってかなり活発で、屋根の上でもどこでもヒョイヒョイと登ってしまう、厄介な動物なのだ。

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ヤギの他にはたくさんの番犬がいて、チーズおじさんの敷地の四方を守っていた。たしかにこの辺鄙な場所では、番犬がいないと泥棒やオオカミなどに対して不用心かもしれない。
辺りも暗くなってきたので、おじさんに別れを告げて、わたしたちはもと来た道に戻った。カスピ海から町につながる、細い泥の道だ。当然、おじさんの番犬が何匹か追いかけてきたが、そのときはまだ軽く吠えていた程度だった。
番犬たちがしつこく後をつけてきたので「あっちへ行け!」と追い払ったものの、効果なし。しばらく走った後、砂漠人は突然、オートバイのスピードを上げるべく、エンジンをブウン! と噴かせた。とても大きな音をさせたので、犬が怯えてそれで逃げ切れるかと思ったら大間違い。なんと犬たちはその音量に反応して、さらに大きく吠え始めたのだ。3〜4匹いただろうか。後ろに乗っていたわたしは興奮した犬たちを見るでもなく、とにかくその場から離れられること願っていた。関心のないフリをするのが一番だと思ったのだ。
砂漠人につかまって前を向いていたものの、吠えている犬たちとの距離が縮まってきているのはうすうす感じていた。そこでもって、ガブッとやられた。噛まれたのだ。左臀部、つまりおしりをガブッと。
それはそれは驚いた。犬に噛まれたのだ。「犬は威嚇しているだけであって噛む訳はない」と、根拠なく思っていたものだから、噛まれた後でも痛いのにピンと来なかった。それでも精一杯、砂漠人の耳元で「犬が噛んだ! 犬が噛んだ!」と言ってみた。
砂漠人はいよいよバイクを止めて、暗がりで見守っていたおじさんの息子に「犬が噛んだぞ!」と叫んだ後、全力で、本当に野獣のような勢いで番犬たちを威嚇し、なんとか帰路につくことができた。そのド迫力に唖然としながらも、おしりを押さえながら「イランで犬に噛まれたよ〜」と不思議な感慨にひたったのだった。
さて、家に戻ってさっそく話をした。わたしは周りの反応が楽しみで、どうやって説明しようかとワクワクしていたくらいなのだが、傷口を見た砂漠人の弟の奥さんが深刻な顔をして心配してくれた。確かにワンピースもパンツも、一部が食いちぎられてしまったのだ。それがまたおかしいけれど、イランの犬事情を知らないので、万が一、狂犬病にかかったら…という思いがないでもなかった。でも、話を聞いた砂漠人のお母さんはクックックッと笑っていたので、大事には至らないのではないかと思うことができた(そして実際、その犬は予防接種をしていたし、わたしもワクチンを打ったので問題なかったのです)。

イランで犬に噛まれたよ! ちょっとした自慢話です(?)。

ガチガチ

先日、イエテボリの友人の家に遊びに行ったら、彼女の飼っている老犬が会うなりわたしに(嬉しさで)飛びかかってきた。それで切に思い出したのだが、わたしはイランに大事な愛犬を残してきているのだ。

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「ガーチ、ガチガチガチガチ…」と言うと飛んでくる。その名も「ガチガチ」。
前回のイラン滞在でかわいがっていたアウチは、あっけなくお別れとなってしまったのだが、その後、留守中の新居と牛小屋を守っていたのがこのガチガチだった。

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ガチガチは砂漠で生まれたトルクメン犬だ。まだ一歳半ほどの雄犬で、元気いっぱい。普段は牛小屋を併設したわたしたちの新居の敷地内でひとりで番をしているけれど、本当は人に遊んでもらいたい盛りなのだろう。困ったことに、新居から徒歩20分のところにある砂漠人の母の家まで、頻繁に出かけてくるようになってしまった。母の家に寝泊まりしている砂漠人とわたしが、特別においしいごはんをやったりマッサージをしてやったり、不用意にかわいがりすぎだのだ。
トルクメン犬は基本的に本物の番犬だ。見知らぬ人や動物が通れば必ず吠えて威嚇するし、飼い主が出かけるときはその前を走って護衛のような役割を果たしている。砂漠では、羊を守るためにオオカミとも闘うのだそうだ。だから甘やかしは一切不要、どの犬も厳しくしつけられている。犬を飼ったことのないわたしが見ると、虐待じゃないかと思うほどの扱いだった。

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朝起きて顔を洗うために外に出ると、ガチガチが急いで駆け寄ってくる。そんなことが何度もあった。ガチガチは持ち場を頻繁に離れてしまうようになったのだ。そこでわたしはガチガチの首にロープを巻いて、徒歩で20分かかる新居まで連れて行くのが日課になった。ロープを巻かれると喜んで走るので、それがまたかわいいのだ。ちなみにトルクメンの町では、首輪をしたり飼い主に引かれている犬は一匹もいない。ロープを首に巻いたりする町で一番のモダンな飼い主を持って、ガチガチは嬉しかったに違いない。

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また会う日まで、悪さをせずに待っていてほしい。

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砂漠人に学ぶナチュラルライフ
Natural life with desert man

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